電波ソング

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電波ソング(でんぱ - )とは、「意図的に下手に唄った声」「意味が崩壊した歌詞」「奇異なサウンドエフェクトによる聴覚的インパクト」「曲や歌詞の本来のテーマに一般的に見ておおよそ合致しない奇異で奇怪な曲や歌詞、振り付けなどを施した楽曲」「一度聞いたら頭から離れないほどのインパクト」などを特徴に持つ音楽の一形態を指すインターネットスラングサブカルチャー用語。但し、いわゆる前衛芸術との違いに注意する必要がある。著名な前衛芸術家も同様な手法を用いて芸術創作をする場合があるが、特定の思想に偏った創作物や、宗教的活動による事を前提とした創作物などは、主観的主張よりも客観的評価により、電波系に分類されてしまう場合もある。これら創作物は、結果論として客観的評価によりその形態が決定してしまう場合が多いため、このような前衛的創作物に関しては、その類別が至難である場合も多い。

概論[編集]

妄想癖のある人など、精神を患っている異常者等を俗に電波系と呼ぶことに由来する。主にパソコンアダルトゲームアニメなどサブカルチャーの文脈で使われる用語である。コミックソングの一種と分類されることもあるが、真正面からの笑いではなく明後日の方向の笑いや引き笑いに属するものも多く、まったく笑いから外れた感性を持つものもある。一般に中毒性が強いものが多い。

アダルトゲームにおける電波ソングの元祖としてはPILより1998年に発売された『MAID iN HEAVEN ~愛という名の欲望~』のオープニング主題歌(以下OP)『メイドさんロックンロール』が挙げられるが、この時点では『メイドさんロックンロール』及び、同社のゲームや2001年発売のCDで次々に発表された歌(『メイドさんブルース』、『メイドさんブギー』、『メイドさんパラパラ』、『せいしをかけろ』、『聖コスプレ学園校歌』等)の単発的なブームであった。また作り手受け手ともに、これら楽曲はその場一発的な「ネタ」であると捕らえられており、単発のブームに終わって良し、という形で受け止められていたと考えられる。つまりこの時点ではこれらはまだコミックソングの極端な亜種の一つであると作り手、受け手とも捕らえていた。

この手の歌がジャンルとして分化し、一つの音楽性の発露として捕らえられるようになった嚆矢は、2001年に発表されたパソコンゲーム恋愛CHU! -彼女のヒミツはオトコのコ?-』のOP『恋愛CHU! (テーマソング) 』であると思われる。この楽曲内の「チュッチュ」などの掛け声が話題となったのであるが、それは単に面白い歌であるという形だけでなく、むしろ歌唱および作詞のKOTOKOのセンスの発露であると広く捕らえられたのである。実際に作詞および歌唱担当のKOTOKOは、この曲の制作(録音)を、いわば上司でもあるI've高瀬一矢の反対を受けながらも行っており(「喧嘩しちゃいました」などといくつかのメディアで語っている)、彼女のセンスと音楽性が強く主張されたことが伺われる。

その他の代表例としてはドワンゴのCMに抜擢されることとなった『巫女みこナース』(2003年)のOP『巫女みこナース・愛のテーマ』や『カラフルキッス ~12コの胸キュン!~』のOP『さくらんぼキッス ~爆発だも~ん~』(2003年)、『DAパンツ!!』(2002年)のOP『PAPAPAPAPANTSU ~だってパンツだもんっ!』が挙げられる。

以上の経緯から、楽曲内の一部の歌詞 → 楽曲全曲の歌詞 → 「サウンドエフェクトやコード進行の珍奇さ」へと電波度の追求が歌詞から楽曲へ向かっている。この過程でコミックソングとは、異なった方向へ音楽性が分岐したと考えられる。

クラシック音楽での要素[編集]

クラシック音楽の枠内で「意図的に」クオリティを落として作曲し、観客の失笑を誘う技法はそれほど新しくない。ゲオルク・フィリップ・テレマンは自作の『学校オペラ』の中で「こんなアリアはテレマンでも書けないだろう」とテナーに歌わせ、音程を外す指示をパート内に持ち、別の作品では自分より古い世代の様式を模倣してその作品に『老人達』とつけるなど、既に電波ソングの持つ「既に流行を過ぎた様式を笑う」属性を備えている。シャルル=ヴァランタン・アルカンの『泣いているジャン、笑っているジャン』はバッハモーツァルトの様式模倣と過剰な超絶技巧により、度の過ぎたおふざけを展開する。バルトーク管弦楽のための協奏曲の第四楽章で前後の文脈とは全く無関係にショスタコーヴィチを引用し、彼の政治信条を攻撃した。ルチアーノ・ベリオの『シンフォニア』の第三楽章の合唱パートも、引用についてのギャグがふんだんに用いられている。現代イギリスではクリス・ニューマンが、「電波ソング」の領域に大変近いバリトンとピアノの為の『哀しい秘密』を作曲しており、これはシューベルトをド下手に歌うパロディとして考案されている。

1960年代は、コンピュータで意味不明にした言語や元から意味不明な言語を声楽作品に応用することがボリス・ブラッハールチアーノ・ベリオヨゼフ・アントン・リードルジャチント・シェルシらにより現代音楽業界で流行した。これらの潮流が電波ソングにどのように影響を与えたのかについては、不明な点が多い。現在では現代音楽や即興音楽のヴォイス・パフォーマンスよりも、はるかに日本発電波ソングのほうが刺激的に響く瞬間がある要出典

その他のジャンル[編集]

これらは全て西洋伝統音楽の枠内の話であり、これ以外のジャンルにも該当例は無数にある。たとえば、根本敬らが結成した「幻の名盤解放同盟」編纂の『幻の名盤解放歌集』、コモエスタ八重樫編纂の『東京ビートニクス』、ラジオ番組コサキンDEワァオ!』で紹介された、いわゆる「コサキンソング」や、『赤坂泰彦のミリオンナイツ』で紹介された、「うさんくさいポップス」にも、電波ソングに該当する楽曲が多くある。商業音楽のみならず、日本のノイズ・ミュージシャン達は電波ソングという言葉が生まれる前から、このような特性を持った表現を獲得していることは1990年代の時点で既に知られていた。


古来より中国では、一つの国家が滅びる時は「国が滅ぶ音組織」に基づく「淫楽」が流行すると言われている。三分損益法しか存在しない中国において、「国が滅ぶ」とはどのような音組織かも類推されておらず、異形の音楽とみなされている。これが電波ソングを意味しているとみなすこともできる。

需要[編集]

J-POPを含む日本ポピュラー音楽業界ではなかなか発表しにくい音楽性故、このジャンルはパソコンのアダルトゲームでしか聴くことが出来ないとされていた。しかし、近年では『撲殺天使ドクロちゃん』(2005年)のようにオリジナルビデオアニメの主題歌、また『日本ブレイク工業 社歌』(2003年)のように社歌、『きみのためなら死ねる』(2004年)『赤ちゃんはどこからくるの?』(2005年)のようにコンピューターゲームにも該当例が見られる。

このジャンルは1980年代テクノ歌謡を起源と見る説もあり、ニューウェーブのリバイバルとも解釈できるものもある。ほかにも、電波ソングは新作ばかりではなく、古い奇妙な曲を発掘しフラッシュアニメをつけ、電波系ソングとしてインターネットで流行させることもある。たとえばスウェーデン語の空耳歌詞をつけられたアラブ歌謡の『Hatten är din』、ミッシェル・ポルナレフによる『シェリーに口づけ(TOUT,TOUT POUR MA CHERIE)』(1971年)、フィンランドのLoitumaによる伝統的なポルカ『イエヴァン・ポルッカ』(ロイツマ・ガールの項を参照)のような例も存在する。初聴取時の衝撃は巨大だが、意図的な構成の単純さゆえに忘却度も速い。今日のポピュラー音楽業界のアイディアの枯渇の深刻さを救うジャンルとみなす向きもあるが、「意図的に」クオリティを落とす制作方法が次世代への悪影響を及ぼすとみなす論調も稀にある。

なお、ヴォーカルの使用により電波ソングと認識できるものだけではなく、インストゥルメンタルのみで明白に電波系を示唆するケースもOVA『魔女っ娘つくねちゃん』のサウンドトラックの一部に該当例が見られる。これらは将来的には「電波サントラ」というカテゴライズが試みられるであろう。

近年の展開[編集]

近年では、電波ソングとは一概に断定しにくい作品も増えつつある。テレビアニメ『月詠』(2004年)のOP 『Neko Mimi Mode』は放送当初は「電波ソング」とみなす向きもあったが、トラックのセンスの良さ故に放送を重ねるにつれそのような物言いは減っていった。アニメ『ぱにぽにだっしゅ!』(2005年)の三つのOPと二つのED、『アニマル横町』(2005年)のOP、『おねがいマイメロディ ~くるくるシャッフル!~』『ギャラクシーエンジェル(第2期)(第3期)(第4期)』(2002年 - 2003年、2004年)『味楽る!ミミカ』(2006年)のOPは厳密には電波ソングではないものの、「意味の崩壊した歌詞」や「既成ジャンルの意図的な引用」は随所に織り込まれており、「ポスト・電波ソング」に位置付けられる作品とみなすことができる。また、アニメ『アークエとガッチンポー』『アークエとガッチンポーてんこもり』(2004年 - 2005年)の主題歌も、同じく厳密には電波ソングとは言えないかもしれないが、UNCO☆STARによるOPを収録したシングルに収録された『叫べ!ガッチンポーのテーマ』は電波ソングと呼べるであろう。また、元来楽曲として特殊な電波ソングの中でも特に異例なものとして、『いぬかみっ!』(2006年)の第18話でのみ使用されたED『友情物語・男子 (?) バージョン』が挙げられる。

このように、何が電波ソングで何が電波ソングでないのかという判断基準は、さらに付けがたいものへとなりつつある。例えば、ゲーム業界でさまざまな電波ソングを生み出したI've所属のKOTOKOは、メジャーデビューを果たし、J-POP的な志向の曲を多く発表している。このため、KOTOKOの曲の中には、歌詞などは多少電波ソング的でも曲調などは普通のポップミュージックと変わらないものも多く、この境界線を引くことは困難である。2005年電波ソング大賞となった『つよきす』の主題歌『Mighty Heart~ある日のケンカ、いつもの恋心~』など楽曲自体は正統的なポップスといえるものであり、「電波ソングらしさ」は、ほぼKOTOKOの歌唱アーティキュレーションおよび曲間の語りなどによってだけ表現されているといってよい。この曲に電波ソング大賞が贈られたことは、近年の電波ソングの境界線の曖昧さと、電波ソング領域のゆるやかな拡大・拡散を端的に示しているといえる。そもそもアダルトゲームの音楽群の中では、「アダルトゲームのアダルトゲーム性」を強調するための電波的志向曲と、「泣きゲー」的な感動志向曲という正反対の方向性の曲が相反することなく共存していたため、このようなことが起こってきたのだと考えられる。

2006年以降は、電波ソング的な要素が深夜アニメを中心にさらに解禁される方向を示している。電波ソングは最早「日本ポピュラー音楽業界の、どこがシリアスなのか」を問い直す大きな潮流の一つとなっている。専門学校で音楽を勉強する者はDTMで和声を勉強する場合が多く、その際にコード進行を誤る生徒が多い。しかし、これらの電波ソングにおけるコード進行が伝統和声的に正確でないものは「元々作曲者が知らないのか」、それとも「意図的に誤りを含んで作曲している」のか判別が困難な場合が多く、予断を許さない状況下にある。

電子的に簡明化される音楽情報[編集]

1960年代以降生まれの音楽関係者は、そのほとんどが ゲーム音楽からの感化を受けており、元々の西洋音楽を極度に簡素化した形態の音楽言語を母体としていることも大きな原因の一つである。初期のゲームミュージックは黎明期にあった貧弱な表現力の初期のゲーム機によって演奏されており、それら機材はきわめて限定された表現力(単音もしくは数音しか表現できない、音量の調節が不可能である、音程の微妙な調節が不可能である、出音の分解能に制限がある、など)ゆえ、西洋音楽独特の「アゴーギク」をほとんど表現できない。つまり「アゴーギク」がほとんど表現されないがゆえに、誤謬とは知覚しづらい(もしくは知覚不可能な)演奏手段で、伝統的には誤りとされるような音楽情報が演奏され、これらを聴くものはそれを受け入れ、親しんできた。このことがこのようなジャンルの成立に繋がっていると考えられる。

また、ゲーム音楽の黎明期には誤りがとても多く、対位法に弱い日本人は「打ちこみミス」や「禁則」を行っていてもそのミスに気付かないことが多々あった。『ファイナルファンタジーII』の名曲『反乱軍のテーマ』ですら、ベースと内声に進行の誤りが見られる。このため、名曲であれば誤謬も正当化されると見るようになったユーザーも多い。

意図的にクオリティを落とす目的とは本来無縁であるブルースのコード進行にみられるV-IV-Iの進行、またクロード・ドビュッシーの初期作品に見られるIII-II-Iの進行は、どの教科書にも「伝統的には本来誤り」と書かれた。しかし、今日これらのコード進行は市民権を得て普通にBGMで聞かれている。電波ソングのコード進行も「日本人のコード感覚」の独創化であり、最終的には既聴化は避けられないといった見解も存在する。

著名なクリエイター[編集]

作詞・作曲及び歌[編集]

作詞家[編集]

作曲家[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]