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'''石若美咲''' (いしわかみさき、[[1981年]][[9月14日]]-)は日本の看護士・助産師。[[兵庫県]][[洲本市]]出身。[[呉大学]]看護学部卒業。西宮女児連れ去り傷害事件の被疑者として有名。
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'''石若美咲''' (いしわかみさき、[[1981年]][[9月20日]]-)は日本の看護士・助産師。[[兵庫県]][[洲本市]]出身。[[呉大学]]看護学部卒業。[[西宮女児連れ去り傷害事件]]の被疑者として有名。
  
==来歴==
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== 来歴 ==
両親とも教師の家庭の一人娘として生まれ、幼いころより両親に甘やかされた。
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 両親とも教師の家庭の一人娘として生まれ、幼いころより両親に甘やかされた。小学生時代の成績は比較的良く、島内ではトップの私立の柳学園高等学校進学部(中高一貫の中学課程、父・同校の教諭、母・公立小学校教諭)に入学するも中学校に入ってからは急激に成績が低下。高校卒業後は淡路島を離れ、[[呉大学]]の看護学部(偏差値39)に入学。社会的評価のきわめて低い大学ゆえに就職先も見つからなかったため、兵庫県立の[[助産師]]学校に入学。修了後に兵庫県立西宮病院で看護士兼助産師となった。小学校の頃から窃盗癖あり。
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== 事件まで ==
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 裕福な家庭で育ち、ほとんど苦労を経験していない石若にとっては看護師としての仕事は非常にストレスのたまるものであった。このため、1年も経過しない2006年3月にはうつ病のため休職する。6月には、阪神西宮駅周辺の商業施設でたびたび子供を連れ回し、商業施設側より不審者として把握されるようになる。またこの時期に大阪や神戸の百貨店で万引きを繰り返すなどした。8月に復職するものの、以後も遅刻や欠勤は多かった、そして2006年9月5日に[[西宮女児連れ去り傷害事件]]を起こし、翌日警察に逮捕される。迅速な逮捕となったのは、石若が不審者として把握されていることに気づかず、この商業施設をたびたび利用していた(事件当日もジーンズの裾上げ依頼の伝票に氏名や住所を記入していた)ためである。
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== 事件の被疑者として ==
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 逮捕された石若は、女児を誘拐したことは認めたものの、傷害に関しては一貫して否認を続けたため、ついに検察は傷害での立件を断念した。また、誘拐の容疑についても(女児の)母親を探しにいっただけ」と全面否認していた。しかし2007年11月に検察は、石若の自宅には2人の他に誰もいなかったこと、防犯カメラに被害者の元気な姿が映っていたことなどから、警察は、被告が女の子の頭を何かに打ちつけるなどしてケガをさせた疑いが強いと判断、傷害事件として立件し、神戸地検が傷害罪で追起訴した。これだけの犯罪を犯しながら、勤務先の病院が石若を解雇していないこと、顔写真が全く公表されていないことなどには疑義の声もある。
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 なお、被害者は現在も、左半身不随の回復の見込みのない後遺症が残っている。
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== 公判 ==
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 石若には両親の資金力などから、大物の私選弁護士がつき、保釈も認められたが、2008年8月27日に神戸地検は石若に懲役10年を求刑した。2008年12月24日に'''懲役7年'''の判決が言い渡され、石若は神戸拘置所に収監されたたが、即日控訴のうえ両親が追加の保釈金を用意し、ただちに再保釈された。
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 またこれとは別に被害者両親は石若に対して、1億5千万円の損害賠償を求める民事訴訟を提訴した。
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2009年[[9月17]]日、[[大阪高等裁判所]]は控訴を棄却する決定をした。
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石若美咲 (いしわかみさき、1981年9月20日-)は日本の看護士・助産師。兵庫県洲本市出身。呉大学看護学部卒業。西宮女児連れ去り傷害事件の被疑者として有名。

来歴[編集]

 両親とも教師の家庭の一人娘として生まれ、幼いころより両親に甘やかされた。小学生時代の成績は比較的良く、島内ではトップの私立の柳学園高等学校進学部(中高一貫の中学課程、父・同校の教諭、母・公立小学校教諭)に入学するも中学校に入ってからは急激に成績が低下。高校卒業後は淡路島を離れ、呉大学の看護学部(偏差値39)に入学。社会的評価のきわめて低い大学ゆえに就職先も見つからなかったため、兵庫県立の助産師学校に入学。修了後に兵庫県立西宮病院で看護士兼助産師となった。小学校の頃から窃盗癖あり。

事件まで[編集]

 裕福な家庭で育ち、ほとんど苦労を経験していない石若にとっては看護師としての仕事は非常にストレスのたまるものであった。このため、1年も経過しない2006年3月にはうつ病のため休職する。6月には、阪神西宮駅周辺の商業施設でたびたび子供を連れ回し、商業施設側より不審者として把握されるようになる。またこの時期に大阪や神戸の百貨店で万引きを繰り返すなどした。8月に復職するものの、以後も遅刻や欠勤は多かった、そして2006年9月5日に西宮女児連れ去り傷害事件を起こし、翌日警察に逮捕される。迅速な逮捕となったのは、石若が不審者として把握されていることに気づかず、この商業施設をたびたび利用していた(事件当日もジーンズの裾上げ依頼の伝票に氏名や住所を記入していた)ためである。

事件の被疑者として[編集]

 逮捕された石若は、女児を誘拐したことは認めたものの、傷害に関しては一貫して否認を続けたため、ついに検察は傷害での立件を断念した。また、誘拐の容疑についても(女児の)母親を探しにいっただけ」と全面否認していた。しかし2007年11月に検察は、石若の自宅には2人の他に誰もいなかったこと、防犯カメラに被害者の元気な姿が映っていたことなどから、警察は、被告が女の子の頭を何かに打ちつけるなどしてケガをさせた疑いが強いと判断、傷害事件として立件し、神戸地検が傷害罪で追起訴した。これだけの犯罪を犯しながら、勤務先の病院が石若を解雇していないこと、顔写真が全く公表されていないことなどには疑義の声もある。  なお、被害者は現在も、左半身不随の回復の見込みのない後遺症が残っている。

公判[編集]

 石若には両親の資金力などから、大物の私選弁護士がつき、保釈も認められたが、2008年8月27日に神戸地検は石若に懲役10年を求刑した。2008年12月24日に懲役7年の判決が言い渡され、石若は神戸拘置所に収監されたたが、即日控訴のうえ両親が追加の保釈金を用意し、ただちに再保釈された。  またこれとは別に被害者両親は石若に対して、1億5千万円の損害賠償を求める民事訴訟を提訴した。 2009年9月17日、大阪高等裁判所は控訴を棄却する決定をした。