広島県立世羅高等学校

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広島県立世羅高等学校
校舎
過去の名称
国公私立の別公立学校
設置者広島県
学区
併合学校
理念
校訓
設立年月日1896年
創立記念日
創立者
閉校年月日
共学・別学男女共学
高大一貫教育
中高大一貫教育
中高一貫教育
小中高一貫教育
幼小中高一貫教育
分校
課程全日制課程
二部以上の授業
単位制・学年制学年制
設置学科普通科
生産情報科
環境科学科
生活福祉科
学科内専門コース
専攻科
別科
学期
高校コード34140B
中学校コード
所在地722-1112
広島県世羅郡世羅町本郷870
外部リンク公式サイト
公式サイト
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広島県立世羅高等学校(ひろしまけんりつ せらこうとうがっこう)は、広島県世羅郡世羅町にある高等学校である。

概要

駅伝の強豪校として知られており、毎年12月に京都で開催される全国高校駅伝大会では6度の優勝を果たしている。2005年12月に行われた第56回大会では、準優勝し、古豪復活をアピールした。2006年12月に行われた第57回大会には初めての男女アベック出場、そして男子が32年ぶり5度目の優勝を果たし、2009年の第60回記念大会には3年ぶり6度目の優勝を決めた。近年は、国公立大学への進学実績を伸ばしており、2005年度は30人、2006年度は39人の合格者を出し、1974年度の34人をしのぎ、歴代最高となった。2006年度から広島県教育委員会より進学指導重点校に指定された、県内15校のうちの1つである。

校訓

我等は真理と正義を愛し、豊かな品性を培い、明朗でたくましい実践力を体得しよう。

校風

ケニア台湾の高校と姉妹校提携。旧制世羅中時代から多くの台湾人を受け入れている。2002年から、ケニアからの留学生が在籍するなど、国際交流を積極的に行っている。ケニア人留学生は、全国高校駅伝でも活躍した。公立高校の運動部で留学生が活躍するのは極めて珍しい。

国旗・国歌に関する事件

1999年2月28日、君が代斉唱や日章旗掲揚に反対する教職員と、それを義務付ける通達を出した文部科学省との間で板挟みとなった当時の校長が卒業式前日に自殺する事件が起こり、『国旗及び国歌に関する法律』成立のきっかけとなった。 国旗及び国歌に関する法律 も参照

韓国への修学旅行報道

1999年3月6日産経新聞は「世羅高校が韓国で謝罪行事をしていた」「5年前からタップコル公園で“謝罪の参拝”」「韓国のタップコル公園の3.1(独立)運動記念塔前で生徒がひざを折って座り、日帝侵略と植民地蛮行を謝罪する文章を朗読した」と韓国の英字紙韓国日報が社会面トップで伝えた記事を、集会中のしゃがんでいる生徒達の写真を載せて紹介し、「一方的に謝罪する行為は、かえって信頼や友好を妨げる。本当の友好とは、言うべきことを言い合って築かれるものだ。日本の一部の教師が持つ思い込みや非常識さが、この修学旅行のような広島県の異常な教育の背景にある」と高橋史朗明星大教授の批判の声を載せた。

同記事をもとに産経新聞が修学旅行に参加した複数の教師を取材したところ「韓国でどう報道されているかは分からないが、宣言文を読み上げる前に生徒たちが座った形で集会を開催。座ったままで黙とうして、頭を下げた生徒もいたと思う」と話していたという。また、読み上げた宣言文の内容については、生徒たちが考えたもので「むかし、不幸な歴史があったけれども、これからは仲良くやっていきたい」との内容だったという。また、同日の読売新聞の取材に答えた教諭の話によれば「平和学習の一環であり、謝罪旅行ではない。三・一独立運動記念碑前では、座っただけで、ひざまずいてはいない。韓国の新聞で謝罪文としているのは宣言文で、生徒が考えた。垂れ幕には『平和をつくろう、私たちの手で』と書いてあり、謝罪の言葉はない」と主張した。さらに、鎌田慧は、著書「家族が自殺に追い込まれるとき」において産経新聞の記事と、同様の内容を掲載した週刊文春3月18日号を、「死者に鞭うつ記事」であるとして批判した。

1999年3月10日産経新聞は「宣言文」の全文を手に入れたとし、それによると、まず玄界灘について「古代から日本に文化を伝え続けた海峡であり、韓国と日本の歴史的に不幸な事実や在日韓国人が受けている不当な差別的現実を生んだ海峡でもある。私たちは昨日その海峡を渡った。」とし、韓国の独立記念館での印象に触れて「展示の数々が目に焼きついて離れない。日本がかつてこの国で何をしたのか、知ったつもりでいた自分に気付き情けなくなった」とした後、「自らの偏狭な価値観で異なるものに優劣のレッテルをはることなく異なるものは異なるものとして受け入れられる真の国際人となる第一歩としたい。この地で学ぶ日本とこの国の過去の不幸な歴史的事実を教訓とし21世紀を創る世代の人間のひとりとしてせいいっぱい平和と友好の心を育み続けたいと思う。」と締めくくる内容であったことが明らかにされた。

関連項目

外部リンク