就職氷河期

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就職氷河期(しゅうしょくひょうがき)とは、社会的に就職難となった時期の通称。

日本[編集]

日本ではバブル崩壊の就職が困難であった時期(1993年から2005年と定義されている)を指す語。リクルート社の就職雑誌『就職ジャーナル』が1992年11月号で提唱した造語。1994年の第11回新語・流行語大賞で審査員特選造語賞を受賞した。なお、新卒者の就職難だけを指すこともある。

経過[編集]

詳しい採用状況については#採用状況を参照

バブル崩壊前の就職状況[編集]

1970年代から80年代の前半までは、日本の労働市場における新規求人倍率は 0.9〜1、有効求人倍率は 0.6〜0.7 の間で推移した。しかし1985年のプラザ合意円高をきっかけに、日本経済はバブル景気に入り、企業が過剰な設備投資と雇用をおこなったため、有効求人倍率は 1.4 まで跳ね上がり、1988年から1992年まで 1 を上回る状況が起きた。

就職氷河期突入[編集]

詳しい経済状況については失われた10年などを参照

1990年1月より株価や地価などの暴落が起こり、「バブル崩壊」と呼ばれる様相を呈し、翌1991年2月を境に安定成長期が終焉した。景気が後退するなかで、バブル期の過剰な雇用による人件費を圧縮するために、企業は軒並み新規採用の抑制を始めた。さらに、政府は大混乱のなかにあったため、景気対策に本腰を入れて取り組むことが困難な状況であった。

その後、1993年を底として景気が回復し、1997年新卒の就職状況はいったんは持ち直したが、消費税引き上げなどの緊縮財政に加え、1997年夏のアジア通貨危機、1997年下旬から1998年にかけての大手金融機関の相次ぐ破綻などで景気が急速に悪化したため、再び就職状況が悪化した。この時期は、求人数の大幅削減のほかに、企業の業績悪化や新興国との競争激化によって新卒を企業人として育成する余裕がなくなり、現場に即投入できる「即戦力」ばかりを新卒に求める風潮が現れた。これにより、雇用のミスマッチが発生し、単純に求人数が増えても失業率が下がりにくくなり、収入と生活の安定を求めて本人の能力や専門知識とはかけ離れた職場に否応無く入らなければならなくなり、その様な環境下で短期間で解雇に追い込まれる状況が発生した。また、大卒者の就職についても、1996年就職協定が廃止されて以後は企業が優秀な大学生を囲い込むべく青田買いが発生し、こうした環境の変化により多くの大学生に混乱と過重な心理的負担を与えることとなった。

このような背景があり、有効求人倍率は1993年から2005年まで 1 を下回り、新規求人倍率は1998年に 0.9 まで下がった。また、バブル期に比べて、新卒者が困難な就職活動を強いられたため、フリーター派遣労働といった社会保険の無い非正規雇用プレカリアート)になる者が増加した。

就職氷河期の一時終結[編集]

2000年代半ばの輸出産業の好転で、雇用環境は回復し、2005年には就職氷河期は一旦終結した。新卒者の求人倍率は上昇し、2006年から2008年の3年間は一転、売り手市場と呼ばれるようになり、有効求人倍率は2006年から2007年にかけて 1 を上回った。13年近くにわたる採用抑制の影響により、多くの企業で人手不足となっており、労働環境が苛酷になる企業が増加した。また、従業員の年齢構成がひずんでいるため技術・技能の伝承が困難になっていた。このため、企業はそれまでの態度を覆し、こぞって新卒の大量採用に走り、特に金融関係の採用意欲は強く、大手金融機関のなかには一度に数千人採用した例もあった。

一方で、既卒者の雇用環境は厳しいままであり、世代間による雇用機会の不均衡を指摘する声が強まった。日本の労働市場における採用慣行は新卒一括採用年功序列に偏重しているため、既卒者(第二新卒など)の就職が著しく不利になっているから、卒業後すでに相当の年数が経った氷河期世代の求職者、とくにそれまで正規雇用されたことがない者は極めて不利な条件下に追い込まれている。団塊世代の退職による労働力減少への対応についても、大多数の企業は新卒者ないしは賃金の安い外国人労働者、定年退職者の再雇用によって補うことがあり、必ずしも氷河期世代の救済にはなっておらず、非正規雇用の割合は2008年まで上がり続けているという状況がある。また大学の新卒者に関しても求人倍率そのものは「バブル期並み、もしくはそれ以上」と言われたが、氷河期に比べたら採用基準は緩和したものの依然として厳選採用の傾向にあった。優秀な学生がいくつも内定を獲得した一方で、内定を一つ得るのに苦労した学生もおり、「内定格差」なる言葉も生まれた。

就職氷河期再来[編集]

詳しい経済状況については世界金融危機 (2007年-)#日本経済の状況などを参照

数年間続いた「売り手市場」であったが、原油等資源・原料価格の高騰や法律の改正による特定業種への締め付けに加え、2007年のサブプライムローン問題を引き金とする世界的金融危機リーマンショックの影響による株価の暴落、急速な円高や世界各国の景気後退により、ここ数年過去最高利益を出していた企業の業績が急激に悪化し、就職状況は一転した。

前回の氷河期において企業が長期にわたり採用抑制を行った結果、人員構成がいびつとなり、極端な人手不足に陥り、技術の継承に支障を来たす弊害が出た経験もあることなどから、前回ほどの極端な採用抑制には至らず、少なくとも中核となる人間の採用は続けるだろう楽観視する見方があったが、実際には、有効求人倍率減少は急落し、新卒の就職率も減少しており、「超就職氷河期」と呼んでいる人もいる。

就職氷河期と雇用形態[編集]

就職氷河期#日本の雇用史参照

日本のメディアは、中国や米国の就職難も同じように就職氷河期と表現するが、日本では就職氷河期が終わっても、他国と比べて就職氷河期終了後の新卒に恩恵がいきやすく、就職氷河期に新卒だった者は就職では不利な状況におかれ続けるという点で違いがある。

これは、日本の就職氷河期の発生原因がバブル崩壊等の不景気だけに留まらず、戦後に築かれた雇用システムである新卒主義(新卒一括採用制度と新卒至上主義)と年功序列制度や、年金受給の引き上げによって高齢者が職場から離れない分新しい席が減ったからである。

企業の多くは、既に社会に適さなくなった新卒主義を廃そうとはせず、年功序列制度も中途半端に廃したため、新卒の段階で就職できなかった若者(職歴が無く即戦力になりえない人材)やリストラされた中高年労働者(人件費がかさむ人材)の多くは、たとえ就職氷河期が終わっても安定した仕事にありつくことが困難な状況に追いやられることとなった。そのため就職氷河期を被った世代は、バブル崩壊を境に社会の現状に適さなくなっていったシステムにより苦しめられている状況が起き、失われた世代(ロストジェネレーション)と呼ばれるようになった。

一時期は、様々な理由で非正規雇用に陥り、貧困に苦しむ中年層が注目されたが、再び就職氷河期が再来したことにより中高年よりも新卒の方に注目が集まるようになり、新卒を中心とした雇用対策が主となり、前就職氷河期で不安定雇用に陥った人たち、人員削減でリストラされた中高年労働者にはさらに厳しい状況となっている。

介護に直面。40代に突入する氷河期世代(2018年)[編集]

就活時、マクロ経済の悪化で就職できなかった就職氷河期世代が40代になろうとしている。少子化による人手不足で採用環境が改善する一方で、スタート時点で仕事の経験を積むチャンスを失った30代後半~40代前半世代の中には、非正規雇用のまま、疎外感を味わいながら働いている人が多くいる。

就活での挫折体験が、その後の人生における幸福度に影を落とす--。

一橋大学経済研究所の小塩隆士教授らは、全国レベルのインターネット調査(男性3,117人、女性2,818人対象)に基づいて行った研究(2011~2015年プロジェクト)で、こんな傾向を明らかにした。

「目的は、初職(社会人になった時の就職状況)がその後の人生にどのような影響を及ぼすかを探ることです。とくに、正規雇用以外の人の就業状況、所得、婚姻状態、さらにメンタルヘルスについて分析しました」(小塩さん)

研究によれば、初めての仕事が非正規雇用だと、その後の非正規のキャリア期間が長くなり、現在の仕事も非正規である確率が高まるという。2015年の総務省調査によると、不本意非正規(正社員として働きたいがその機会がなく、非正規雇用で働いている人)は約315万人にのぼる。

また小塩さんの調査では、現在の生活満足度について「不満」と答えた人は、男性の場合、初職が正規雇用なら43%だが、非正規雇用は62%と、正規を大きく上回った。女性も専業主婦・主婦パートを除くと、正規は41%で、非正規は45%だ。

米国経済学者カーンは、就職時のマクロ経済状況が良好でないと、その後の賃金、昇格が不利になるという研究結果を発表しているが、氷河期世代で正社員の職に就けなかった人は、まさにその例に当てはまる。

もうひとつ研究で明らかになったのは、「社会人生活を非正規としてスタートした人は、抑うつの度合いも高い」という事実だ。

「それでなくても、一般に非正規社員は正社員より所得が少ない。その分、メンタルが悪化しやすいことは容易に想像がつくのですが、たとえ所得が同じ水準であったとしても、正社員と非正規とでは、非正規のほうがストレスを抱えやすいことが浮き彫りになりました」(小塩さん)

調査結果をもとに、「ケッスラーの6」という尺度でメンタルストレスを測ったところ、現在の所得などの影響を差し引いて分析しても、初職が非正規の男性の数値は、初職が正規の男性の約1.27倍だった。

面接のたびに人格を否定されたと感じたことで深く傷つき、立ち直れなくなってしまった人もいるだろう。労働問題に取り組むNPO法人POSSE(ポッセ)の調査によれば、2011年時点で、就活生の7人に1人がうつ状態だった。

「親からの虐待や学校でのいじめを受けた子どもは、大人になっても幸福感を得にくいとされます。それと同様に、就職氷河期の過酷な経験が、長く尾を引く場合があるのではないでしょうか」

そのうえ、非正規労働者は将来の雇用不安を常に抱えている。年金や保険などのセーフティーネットも、正社員に比べればもろい。「老後はどうなるんだろう」「病気になったら……」という心配は、年齢を重ねるごとにリアルなものになっていく。何より、組織や社会からの孤立感、疎外感は、人によっては自己肯定感を打ち砕き、根の深い悲しみや怒りとなる。

ただし、非正規といってもひとくくりにはできない。小塩さんは「表現が適切かどうかわかりませんが」と断ったうえで、「女性の場合、ライフコースは人によってさまざま。正社員、あるいは高収入男性と結婚している“勝ち組非正規”と、未婚の“負け組非正規”とでは大きく状況が異なります」と指摘する。

「子育てがひと段落し、家計補助 のために働いている主婦と、大学卒業後、正社員としての就職が決まらず、派遣社員の収入で生計を立てている未婚女性とでも立場は違います。後者のほうがよりストレスフルな状況にあると推測されます」

研究では、初職の状況と未婚率の関係についても分析した。その結果、初職が非正規だった人は、男性だけでなく女性でも未婚率が高まることが判明している。

なぜ、非正規の女性は結婚しづらいのか?

小塩さんは「出会いの場が限られるからではないでしょうか」という。正社員は研修や職場の飲み会など、社内ネットワークに参加できるが、非正規はコミュニティーから締め出されがちだ。その分、どうしても結婚相手を見つけにくくなってしまう。

非正規の男性は、さらに厳しい現実に直面しているのは言うまでもない。女性のようにライフコースの選択肢がなく、最初の就職で失敗すると、軌道に戻るのが難しくなるのが日本の雇用の現実だからだ。収入面から結婚も難しくなる。小塩さんが行なった調査によると、男性の場合、初職が正規だった人の平均年収は550万円、非正規だった人は332万円で、200万円以上の差があった。

国が「標準世帯」を「会社員の夫と専業主婦の妻、子ども2人」と定義したのは1969年。共働き世帯の数が専業主婦世帯を大きく上回る今、まったく現実的なモデルとはいえないが、「男は就職して妻子を養うもの」という一種の社会的規範は、いまだに日本の男性たちをがっちり縛っている。

もちろん、あえて自由な働き方、生き方を選ぶ人も増えている。だが一方、正社員になれず、結婚できない氷河期世代の生きづらさは、この国ならではの時代錯誤な規範から生まれているのかもしれない。

壮年期に達した氷河期世代を待ち受けているのは、親の介護問題だ。

「実はライフイベントのうち、もっとも精神的負荷が高いのは、失業や離婚ではなく親の介護です。特に在宅介護の場合は、仕事と両立するのが難しくなり、生活が成り立たなくなる人も出てくるでしょう。今のうちに手を打たなければ、大量の介護失業者があふれるかもしれません」

労働契約法の改正で、勤務5年を超える有期契約労働者は、申し込みをすれば無期労働契約ができるようになった。といっても、正社員になれるわけではなく、雇用形態はあくまで契約社員や派遣社員、パート、アルバイトだ。さらに法制度を整備し、同じ仕事内容であれば、賃金水準も同じとする「同一労働同一賃金」の議論ももっと進めるべきだと、小塩さんは訴える。

キャリアについても今のモデルからの転換を図らなくては、という。

ヨーロッパでは、大学卒業後の数年間は期間限定の契約社員として働き、ウオーミングアップした後に正規の仕事に就く、というパターンが一般的。この就業パターンは、ステップ・バイ・ステップでキャリアを築けることから『踏み石シナリオ』と呼ばれています。これに対し、初職で非正規の仕事に就くと、そこから抜け出せない日本のようなパターンは『わなシナリオ』。非正規割合は今や労働者の40%に達しています。これだけ多くの人が“わな”に捕らえられながら生きている現状を、これ以上放置すべきではありません」

労働人口のボリュームゾーンに当たる氷河期世代。彼らのメンタルの悪化は、国としての健康度の悪化を示すサインでもあるのだ。

採用状況[編集]

新卒採用[編集]

高卒[編集]

2005年3月高校・中学新卒者の就職内定状況等によれば、求人数は1992年の約34万人をピークに、2003年には約3万人にまで激減した。要因としてはいくつかいわれており、例えば、大手企業が大卒者等の高学歴化へのシフトなどが指摘されている。

新卒時は好景気であった団塊ジュニアの高卒者もまた、1997年のアジア通貨危機や1999年の産業再生法施行後には人員削減により不安定雇用に追い込まれた者も少なくない。

ただし、就職難を背景に次第に大学などへの進学率が増加し、高卒での就職率が減少したこと、また、大学生などとは異なり、就職希望の高校生で就職できなかった者は、専門学校などへの進学に進路を変更した者も多かったため、大卒などの就職難に比べると、高校新卒者の就職難はあまり深刻視されなかったという面もある。

大卒[編集]
1993年卒から2005年卒の就職氷河期の状況

大卒者の雇用環境もこの時期に厳しく悪化した。リクルートワークスの調査によれば、1991年をピークに求人倍率は低下傾向で推移し、2000年にはついに1倍を下回った。多少の変動はあるものの、2002年を谷とする景気の回復に伴い求人数が増加するまで、長期間にわたって雇用環境は厳しい状況となった。

その結果就職率も惨憺たる状況となった。学校基本調査によれば、1991年の81.3%をピークに低下を続け、2003年には55.1%(専門学校の就職率は76%)と最低記録を更新し、就職氷河期の中でも最も就職率の低い時期となった。また、この1990年代以降には、幸運にも新卒や新卒相当で正社員の地位にありつけたとしても、たまたま求人があった全く畑違いの業種に飛び込まざるを得ない状況もあり、本人の志望や専門とはかけ離れ、大学の専門教育で身に着けた知識や能力が役に立つ機会があるとは到底思えない、本意とは到底考え難い仕事しか選ぶ事ができなかった者が、様々な業種の末端で見られるようになった。就職難のため、大学卒業後に専門学校などの教育機関にさらに通う(ダブルスクール)者も増え。

2010年卒以降の就職難の状況

就活時期には売り手市場であった2009年春卒業予定の学生の内定が取り消されるということが続出し、さらに、2010年卒以降の大卒の就職内定率は6割前後にまで減少した。

また、外国人労働者は年々増加しており、求人数の減少だけでなく、外国人との競争という前回の氷河期にはなかった逆風現象も起きている。さらに、2011年3月11日に発生した東日本大震災の影響で就活生の就職が一段と困難になっており、厚労省の発表では、2010年度の卒業生(高校・大学)のうち震災を理由として内定を取り消されたのが427人(126社)入社を先送りされたのは2472人(287社)に及んでいる。

このような厳しい状況から、2010年大学卒業予定者だった人のうち、7人に1人(約14.3%)以上が就職留年を選択している。2010年春大卒生の就職率は前年比7.6ポイント減の60.8%にとどまり、1948年の調査開始以来最大の下げ幅を記録した。

ただし、このようにひどい就職氷河期であるといわれているものの、前回の就職氷河期と比べれば、求人数も求人倍率も高いということもあり、必ずしも就職氷河期だとは言い切れないという意見もある。

前回の氷河期から続いている採用活動の早期化が行き過ぎ、学業が疎かになりがちなことや海外留学などの活動に手を出しづらくなっていることへの反省から、日本貿易会が採用活動の開始時期をを遅らせること検討したのを皮切りに、経団連などでも同様の検討がなされている。

※一般的に、雇用系列は景気動向に遅行するといわれており、景気の山と谷は就職率等の山と谷とは必ずしも一致しない。

中途採用[編集]

中途採用は新卒以上に厳しい状況となった。企業が「即戦力」を要求するために、新卒時に正社員へと就職できなかった者の多くが、その後も、正社員でない仕事に就職したり、非希望型ニートと呼ばれる就職活動自体を断念したりする者も現れた。離職者についても、十分なスキルを蓄積できなかった者は再就職が困難な状態となった。また、雇用政策は新卒に重点をおくために、中途採用の方の雇用対策まで手が回らないこともあり、さらに年齢や性別を理由に門前払いされるケースもある。

人手不足が深刻な企業や団体(農業や福祉業界など)では、特に、即戦力としてのスキルを持たない就職氷河期世代のフリーターやニートの雇用を行っている企業や団体も存在している。

有効求人倍率については、1993年以降徐々に減少していき、1999年には0.48を記録した。しかし、その後徐々に上昇し、2006年には1.06を記録するまでに回復した。しかし、その後急激な減少に転じ、2009年には、1999年に前回の就職氷河期で最低を記録した0.48をさらに下回る0.47となった。そして、2009年7月の完全失業率は国全体で5.7%に、有効求人倍率は0.42倍に下がった。そのなかでも、25歳-34歳(1975年-1984年生まれ)の完全失業率は6.1%に、15歳-24歳(1985年-1994年生まれ)の完全失業率は9.6%にのぼった(2009年4月)。その後の求人倍率は上昇傾向であり、2011年は0.65であった。

留意点[編集]

氷河期の中の売り手市場[編集]

就職氷河期であるからといって、全ての業種、全ての学部・学科で就職状況が厳しいわけではない。例えば、1倍を下回っていた2000年卒でも流通業は3.19倍もの求人があり、流通業は売り手であった。また同年は文科系求人倍率が 0.83 だったのに対し、理科系求人倍率が1.26倍となっていた。

高卒においては工業科の就職率が普通科や商業科と比べて高く、就職では優位にあった。

氷河期出身者の中でも、セクター別に見通した場合、就職難を経験していない者も存在している。

大都市と地方[編集]

大都市よりも地方では有効求人倍率が低い傾向にあり、バブル景気の時期や就職氷河期が一時終結した時期でも、北海道や九州では有効求人倍率が 1 を上回らなかったという現状がある。

地域別有効求人倍率[1]
地域 1985年 1990年 1995年 2000年 2005年 2009年
(全国) 0.68 1.40 0.63 0.59 0.95 0.47
北海道 0.39 0.65 0.54 0.46 0.57 0.37
東北 0.46 1.22 0.73 0.59 0.68 0.35
南関東 0.80 1.57 0.48 0.55 1.11 0.53
北関東・甲信 1.26 2.33 0.91 0.86 1.09 0.45
北陸 0.84 1.92 1.04 0.70 1.06 0.50
東海 1.27 2.27 0.78 0.77 1.41 0.50
近畿 0.59 1.20 0.49 0.48 0.92 0.49
中国 0.75 1.74 0.88 0.72 1.10 0.58
四国 0.58 1.28 0.82 0.66 0.84 0.57
九州 0.35 0.93 0.54 0.46 0.67 0.40

求人倍率の数値と実状とのギャップ[編集]

就職氷河期である2000年卒を除けば、新卒の求人倍率は1倍以上を保っていたにもかかわらず、数十社回っても内定が一つも取れない学生が続出するという現象が起きていた(逆に一人で複数の内定を得る学生もいる)。この原因は、前述の“氷河期の中の売り手市場”と“大都市と地方”で触れられている事以外にも、“求人は出しても採用者を出さない企業”、いわゆる“厳選採用”の存在が上げられる。

不況の年は、良い人材がいなければ定員を満たしていなくとも採用を取りやめてしまう例が多く、 特に新人を一から育てる余裕が無い中小企業は、この傾向が強く、初めから学部を限定して募集する場合もある。

就職氷河期が再来した2010年卒の求人倍率は1.64倍であり、就職状況がよくなったといわれる2006年卒の1.60倍を上回っているにもかかわらず、2010年卒が就職難であると指摘されるのは、求人は出しても即戦力になり得る人材がいなければ採用者を出さない企業が増えているためだと考えられている。また、企業の採用計画が軒並み出そろった後に急激な景気の変動が生じ、求人数と実際の採用数に乖離が出たためだと指摘する者もいる。

このような現状があるため、好況時と不況時とで単純に求人倍率の比較はできない。

就職氷河期後の新社会人の就職観の変化[編集]

バブル景気前後に生まれ、バブル崩壊後の不景気とグローバリズム社会における日本の地位低下という時代に少年期を送った氷河期世代後の世代は、就職難に直面する氷河期世代の後姿をみて育ったため、安定志向や大企業志向が強まっている。そのため、中小企業は幾ら求人を出そうとも新卒が集まらない状況に直面している。2005年放送のNHK日本の、これから』のスタジオ生討論においても、中小企業経営者らが、「町工場は人手がまったく足りない」、「求人を出している」と語っていた。また、同じ大企業でも不人気業種は新卒の確保に苦戦しており、テレビ東京の『カンブリア宮殿』では幸楽苑の例が紹介された。

社会の構造と政治[編集]

プラザ合意からの円高で、バブル崩壊以前からすでに日本における労働力のコストは高騰していたが、日本企業はバブル景気による収益で高コスト体質による不利をカバーできていたため、旧来的な雇用形態を変えておらず、それゆえ高価な労働力を過剰に抱えていた。それがバブル崩壊を境にいよいよ維持できなくなったことで、リストラによる余剰人員の削減と雇用柔軟性の導入が必要となった。

この動きの一環として、1999年には、小渕恵三内閣によって派遣労働が製造業を除いて原則自由化され、企業が人員を削減する程法人税を減免する「産業再生法」が制定された。この「産業再生法」の背景が、1995年日経連(当時)が発表した「新時代の『日本的経営』」だとの意見がある。この「新時代の『日本的経営』」では、労働者を「長期蓄積能力活用型グループ」「高度専門能力活用型グループ」「雇用柔軟型グループ」に分けており、派遣労働者やフリーターは「雇用柔軟型グループ」に当たる。

「新時代の『日本的経営』」を支えたとみられる政治思想として、小沢一郎の「普通の国」、小泉純一郎の「聖域なき構造改革」が挙げられる。これらの路線は、「アメリカ型社会の模倣」、「『わずかな強者が主導権を握り、大多数の弱者が貧困と死におびえる階層社会』となる」などと批判されることがある。2004年3月1日には、小泉純一郎内閣によって製造業への派遣労働が解禁され、派遣労働者は爆発的に増大した。ただし、労働者派遣法の改正審議の当時、偽装請負が社会問題化のきざしをみせていた。派遣労働者激増の背景には、偽装請負業者が一般派遣へ流れ、それまで派遣労働者としてカウントされていなかった分の増加が相当の割合で寄与しているという面もある。

就職留年[編集]

就職留年とは、次年度も新卒として就職活動を行うための留年のことで、就職活動をしたが決まらなかった者の選択肢の一つのことである。2010年卒においては、7人に1人、もしくはそれ以上が就職留年した。就職留年が多い背景には、既卒者の正社員への就職口が狭く、留年してでも新卒として就職活動した方が有利であるという実態がある。さらに多くの大学が、前回の氷河期や今回の急激な雇用情勢の悪化を鑑みて、単位を取り終えた状態で意図的に卒業手続きを取らず留年する学生に向けた、学費の減免措置制度が作られたことも理由として挙げられる。学校側もその様な制度を設ける背景には、就職率の低下の他、学校自身による就職指導も非常に困難になっていることなどがある。その為、この様な厳しい状況を逆手に取って、新卒・正規雇用の就職率の高さや就職指導の充実を売り文句に学生にアピールする大学も数多く現れている。また、こうした措置は単に就職活動のための救済措置としてだけではなく、現在の多くの学生が3年次から就職活動を始めるため学業に専念できないことや、就職活動の早期化の影響で海外留学などの活動が学生に避けられている状況に、大学側が苦慮していることが挙げられる。

就職氷河期の影響[編集]

人材の育成がなされず、将来的に国全体としての競争力を下げると指摘されている。 また、中高年層や高齢者層と、若年層との間で深刻な世代間対立が生まれる可能性もある。

資料[編集]

求人倍率#求人倍率の推移参照

就職氷河期を挟んだ時期の雇用関連指標を以下に掲載する。

  •  : 就職氷河期(1993年から2005年)

求人倍率[編集]

有効求人倍率の推移[1]
有効求人倍率 有効求人数 有効求職者数 就職件数
1991 1.40 1,805,631 1,290,153 106,709
1992 1.08 1,553,333 1,433,026 108,284
1993 0.76 1,275,820 1,669,074 111,747
1994 0.64 1,186,463 1,848,098 120,628
1995 0.63 1,233,449 1,954,365 126,684
1996 0.70 1,393,689 1,980,970 128,680
1997 0.72 1,493,094 2,070,944 132,306
1998 0.53 1,265,216 2,394,818 137,300
1999 0.48 1,206,889 2,529,993 144,177
2000 0.59 1,472,596 2,506,804 155,421
2001 0.59 1,534,182 2,597,580 157,206
2002 0.54 1,486,484 2,768,427 168,366
2003 0.64 1,670,065 2,596,839 176,143
2004 0.83 1,956,329 2,368,771 178,754
2005 0.95 2,163,164 2,271,675 176,954
2006 1.06 2,294,833 2,164,014 178,075
2007 1.04 2,179,802 2,094,404 170,598
2008 0.88 1,831,664 2,091,492 155,902
2009 0.47 1,308,885 2,762,480 166,554
2010 0.52 1,403,634 2,705,935 179,304
2010 0.65 1,674,223 2,593,291 180,328
大卒の求人倍率の推移
年卒 求人数 求職者数 求人倍率
1991 840,400 293,800 2.86
1992 738,100 306,200 2.41
1993 617,000 323,200 1.91
1994 507,200 326,500 1.55
1995 400,400 332,800 1.20
1996 390,700 362,200 1.08
1997 541,500 373,800 1.45
1998 675,200 403,000 1.68
1999 502,400 403,500 1.25
2000 407,800 412,300 0.99
2001 461,600 422,000 1.09
2002 573,400 430,200 1.33
2003 560,100 430,800 1.30
2004 583,600 433,700 1.35
2005 596,900 435,100 1.37
2006 698,800 436,300 1.60
2007 825,000 436,900 1.89
2008 932,600 436,500 2.14
2009 948,000 443,100 2.14
2010 725,300 447,000 1.62
2011 581,900 455,700 1.28
2012 559,700 454,900 1.23

卒後の進路[編集]

年卒 卒業者数 大学院等
進学者数
就職者数 大学院等
進学率
就職率
1992 437,878 33,381 350,070 7.6 79.9
1993 445,774 37,318 339,901 8.4 76.2
1994 461,898 43,890 325,447 9.5 70.5
1995 493,277 46,329 331,011 9.4 67.1
1996 512,814 48,218 337,820 9.4 65.9
1997 524,512 47,906 349,271 9.1 66.6
1998 529,606 49,706 347,562 9.4 65.6
1999 532,436 54,023 320,119 10.1 60.1
2000 538,683 57,663 300,718 10.7 55.8
2001 545,512 58,662 312,471 10.8 57.3
2002 547,711 59,676 311,495 10.9 56.9
2003 544,894 62,251 299,987 11.4 55.0
2004 548,897 64,610 306,414 11.8 55.8
2005 551,016 66,108 329,125 12.0 59.7
2006 558,184 67,298 355,820 12.1 63.7
2007 559,090 67,175 377,776 12.0 67.6
2008 555,690 67,372 388,480 12.1 69.9
2009 559,539 68,422 382,485 12.2 68.3
2010 541,428 72,539 329,190 13.4 60.8
2011 552,794 70,642 340,546 12.8 61.6
高卒(全日制課程・定時制課程)後の進路の推移[2][3]
年卒 卒業者数 大学等
進学数
専修学校
進学数
就職数 大学等
進学率
専修学校
進学率
就職率
1992 1,807,175 591,520 296,249 599,072 32.7 16.4 33.1
1993 1,755,338 606,304 290,517 534,857 34.5 16.6 30.5
1994 1,658,949 598,959 275,562 459,280 36.1 16.6 27.7
1995 1,590,720 597,986 265,892 407914 37.6 16.7 25.6
1996 1,554,549 605,619 262,404 377,619 39.0 16.9 24.3
1997 1,503,748 611,431 252,998 352,963 40.7 16.8 23.5
1998 1,441,061 611,841 236,841 327,672 42.5 16.4 22.7
1999 1,362,682 602,078 228,390 275,859 44.2 16.8 20.2
2000 1,328,902 599,747 228,672 247,074 45.1 17.2 18.6
2001 1,326,844 598,849 232,625 244,505 45.1 17.5 18.4
2002 1,314,809 589,674 236,791 224,692 44.8 18.0 17.1
2003 1,281,334 571,959 241,931 212,863 44.6 18.9 16.6
2004 1,235,012 559,732 237,264 208,903 45.3 19.2 16.9
2005 1,202,738 568,336 228,858 208,746 47.3 19.0 17.4
2006 1,171,501 578,094 213,096 210,439 49.3 18.2 18.0
2007 1,147,159 587,393 193,074 212,600 51.2 16.8 18.5
2008 1,088,170 574,990 167,010 206,588 52.8 15.3 19.0
2009 1,063,581 573,037 156,221 193,563 53.9 14.7 18.2
2010 1,069,129 580,578 170,182 168,673 54.3 15.9 15.8
2011 1,008,492 548,886 161,753 160,272 54.4 16.0 15.9

内定率[編集]

大卒の内定率(%)の推移[4]
年卒 10月1日</br>現在 12月1日</br>現在 2月1日</br>現在 4月1日</br>現在
1996 69.8 82.0 93.5
1997 69.9 83.5 94.5
1998 73.6 84.8 93.3
1999 67.5 80.3 92.0
2000 63.6 74.5 81.6 91.1
2001 63.7 75.2 82.3 91.9
2002 65.0 76.7 82.9 92.1
2003 64.1 76.7 83.5 92.8
2004 60.2 73.5 82.1 93.1
2005 61.3 74.3 82.6 93.5
2006 65.8 77.4 85.8 95.3
2007 68.1 79.6 87.7 96.3
2008 69.2 81.6 88.7 96.9
2009 69.9 80.5 86.3 95.7
2010 62.5 73.1 80.0 91.8
2011 57.6 68.8 77.4 91.0
2012 59.9 71.9 80.5
  • 注意点
    • 有効求人倍率の各用語の詳細については、求人倍率を参照されたい。
    • 1990年以前有効求人倍率の推移については求人倍率の推移を参照されたい。
    • 就職内定率については、特に2010年では近年増えている就職留年も通常の留年に含めて扱っているので、実際の「就職活動した人のうち就職が決まった割合」とは差があること、過去の就職内定率とは完全には数値比較ができないことに注意する必要がある。
    • 就職者には、就職しながら進学した者も含む。
    • 2011年卒の卒業後の進路については、速報値である。
    • 内定率は、就職希望者のうち内定が決まった者の割合であるため、就職を希望しない者、あきらめた者は母数に入っていない。

韓国[編集]

大韓民国ではアジア通貨危機1997年以後に景気が急激に悪化し、金大中政権による労働法制の改悪が追い討ちをかけ、不安定労働者(プレカリアート)が激増している。2007年時点の20代(1978年-1987年生まれ)は日本の同年代生まれと同じく就職難に遭遇し、アルバイトなどの不安定雇用に泣き寝入りしている者が非常に多い。韓国で若者就職難を平均賃金88万ウォン(非正規職の平均賃金119万ウォンに20代の給料の平均比率74%をかけた20代の平均給料)、「88万ウォン世代」と呼ばれている。この世代の月収は日本円に換算して約68700円(2009年10月現在)に相当する。

中国[編集]

中国では2003年ごろより大卒者の就職難が深刻化。就職率は7割前後に留まっているという。また、地域によっても格差が激しい。

中国の要因[編集]

要因としては

  1. 高学歴者の増加
  2. 雇用のミスマッチ(企業が求めている人材と、大学を卒業する就職希望者とのニーズが一致していない)

が指摘されている。

経済成長が続く中国(2007年時点)では、全体的には人手不足感、それに伴う賃金上昇圧力が強まりつつあるが、大多数の企業では、低賃金で単純作業をこなす労働者を欲している一方で高学歴者の需要はそれほどではないため、高学歴者の増加に需要が追いついていない状況にある。

中国の就職氷河期の影響[編集]

高学歴者の供給超過は

  • 就職難
  • 賃金の低下圧力

という状況を作り出している。

とくに、賃金低下はさらなる就職難を招く悪循環を引き起こしている。中国の大学は年間2万元以上の学費等教育費を必要とする(2007年時点)が、これは農村の年収を超える額であり、農村出身の学生は借金をしながら通うことになる。そのため、卒業後に借金を返済しながら生活をするためには初任給に2500元以上が必要という。

ところが、高学歴者の供給超過は初任給の低下を引き起こすようになる。

『2000年当時、北京の就職市場では一般に、「3・6・9」といわれた。学士の初任給が3,000元、修士6,000元、博士9,000元という意味である。だが、北京大学教育学院の2005年度の調査では、学士の平均初任給は1,549元、修士が2,674元、博士が2,917元に激減していたのだ。』

この結果、一定額以上の収入が必要な新卒者は就職を見送り、翌年、好条件の就職口を探そうとし、一方で、翌年は新たな新卒者が労働市場に供給されるため、さらなる供給超過、賃金低下におちいるという悪循環が形成されているという。

その他の国[編集]

日本、韓国、中国以外の国でも1990年代から2000年代のグローバリゼーションに遭遇した就職氷河期が存在する。

折しも1991年の総量規制によるバブル崩壊と期を同じくして、世界情勢は1991年12月のソ連崩壊による冷戦の終結という歴史の転換点を迎え、経済面でも、旧共産圏が市場経済化するなどきわめて大きな変化がいくつも生じた。 グローバリゼーションが進み、労働力の供給源が日本その他の先進工業国から、中国を初めとする新興諸国 (BRICs) へと大量に移動していったこともそのひとつである。

解雇規制の厳しいヨーロッパにおいては、すでに職に就いている中高年層の解雇や賃金カットが難しいこともあって、若者が就職難に直面している。特にスペインでは若年層の失業率が極端に高く、25歳以下の失業率は43.8%(2009年11月)となっている。

フランスでは雇用を流動化させるために、新規雇用して2年間は理由がなくとも解雇ができる法律を2006年に制定したが、当の若者自身の反発(従来の手厚い雇用保障が受けられないなどの理由)より撤回に追い込まれている。ただし、フランスでは実習生制度(スタージュ、インターンシップと訳されることもある)を正式採用前に優秀な人材を選別するシステムとして運用している会社が多いが、実質的には解雇自由の状態で若者を働かせることができるシステムとして機能しており、若年層の解雇規制には抜け道がある。実習生は正社員と同じ仕事を長期にわたり続けているにも関わらず月給200ユーロ(約2万2000円)程度の極端な低賃金で雇われることもあり、社会問題となっている。

日本の雇用史[編集]

戦前[編集]

戦前の日本では、学生は既卒後に就職する事が主流であり、その求職方法もまちまちであった。

転職率も極めて高く、労働者は少しでも賃金の良い所に転職を重ねるのが普通であり、一年間における労働者の転職率が100%という時代もあった。

戦後からバブル崩壊前[編集]

新卒主義[編集]

第二次世界大戦後、戦地からの大量の復員(退役軍人)によって、戦中は空洞化していた日本の労働市場は人材過剰に陥り、混乱した。1947年、政府はこれを沈静化する為、職業安定法を制定し、民間の職業紹介所を廃し、雇用は全て国が管理・統制するようになった。この際、就学中である学生に対しては、一人一社主義の原則に基づいて、国と学校が協力して在学中に就職先を斡旋するという方式が取られた。この職業安定法の制定により、新卒者は既卒後に苦労して職を探さずとも、在学中に職を得る事ができるようになった。また、企業側もこれに合わせ、若者を採用する際は在学中の若者(新卒者)を対象に一括採用(新卒一括採用制度)し、4月1日を以って入社させるという流れが主流となった。

このようにして、日本独自の雇用システムである“新卒一括採用制度”と、新卒者の方が職を得やすいといういわゆる“新卒至上主義”が始まった。

年功序列制度の誕生[編集]

1950年代半ば以降、日本は高度経済成長期を迎えると、国民の経済力の高まりと共に高校への進学率が急増した。高校以上の新卒者に対しては、国ではなく学校が仕事を斡旋したが、当時は高度経済成長期の真っ只中であった為に、多くの企業が若い労働力を必要としていた。さらに、既に新卒主義が確立しており、新卒者は就職に困る事はなかった。また、当時は就農人口も自営業率も高かった為、新卒者は企業への就職以外にも「親の家業を継ぐ」「職人に弟子入りする」等の選択肢が身近にあった。

一方、高卒が主流となるにつれ、集団就職などをはじめとする中学校の新卒者に職を斡旋していた職業安定所はその役割を薄め、転職者への職業斡旋が中心となり始めた。その結果、学生は学校の斡旋により新卒の段階で就職し、再就職や転職の際に、自身の職歴に見合った仕事を職業安定所に紹介してもらうという流れが一般化した。

年功序列制度の確立[編集]

企業側では、職業安定法制定以降、4月1日に新卒者を一括入社させ続けた為、一般の社員の間でも、一期生、二期生、三期生と、入社時期に応じた階級化が進んだ。また、経済の発展と共に急速に物価が高騰し続けた為に、毎年労働者の賃金も引き上げられるようになった。その為、階級(勤続年数)に応じて労働者を昇給・昇進するという制度が採られるようになった。

当時は、年配労働者は少なく(昭和40年の55歳以上の労働者の割合は14.6%だった。しかも、高齢男子就業者の67%は“自営業者または家族従業員”であった為、企業に勤める年配労働者は極めて少なかった事が分かる)、逆に若年労働者(今の団塊世代)の人口が圧倒的に多かった為、勤続年数や年齢に応じて給与を決定するというシステムは、多数派の労働者(若年労働者)の給与を低く抑える事ができ、人件費の面でも都合が良かった。

最盛期[編集]

1980年代半ばから1991年に掛けて日本がバブル景気に湧くなか、企業が新卒を優遇する傾向はいっそう高まり、当時の新卒者の多くは学校の斡旋を受けずとも、企業からの売り込みに応じるという形で、簡単に大手・中堅企業に就職する事ができた。

バブル崩壊後[編集]

年功序列制度の破綻[編集]

戦後に誕生した新卒主義は若者の雇用を助け、高度経済成長期に誕生した年功序列制度は人件費の増大を防ぎ、日本の経済の骨子として機能していたが、1991年のバブル崩壊を境に、このシステムは機能を失い始めた。

1991年の日本のバブル経済の崩壊により企業の業績は悪化した。それだけでなく、若い社員なら大量に雇っても人件費が安く済むという利点があった、勤続年数や年齢に応じて給与を決める年功序列制度は、逆にその大量に雇用した社員が年を重ねるにつれ、人件費が高騰してしまうという欠点があり、人件費の高騰という問題に直面した。

それまでは曲がりなりにも好景気だったため、高騰した人件費もなんとかやりくりがついていたが、不況への突入とともに状況は一変し、高騰した人件費の問題を解決する為に、企業の多くは人件費がかさむ中高年労働者をリストラし、高卒者の採用削減も行い始めた。

大卒の求人数についてはバブル崩壊後もあまり変わらなかった。しかし、高卒の求人の減少と若者の進学志向があわさり、大学などへの進学率が急上昇した。その結果、大学の卒業者数が急激に増えた一方で大卒の求人数は変わらなかったので就職率は減少した。

非正規雇用の増加[編集]

その後、年功序列と成果主義を足し合わせたようなシステム(職歴が考慮されるが賃金が上がりにくい)に移行するところが増え、人件費が少し高い上に体力が劣る高齢者はリストラ後の特に正規雇用への再就職が困難となった。また、企業は人件費の削減のためや派遣事業の規制緩和から、派遣社員などの非正規雇用を活用することが多くなった。これらのことから、若者や高齢者や女性を中心に非正規雇用が増えた。

氷河期世代[編集]

日本では、就職氷河期時に就職活動を行った世代のことを「(就職)氷河期世代」と呼ぶことがある。ほかにも、「貧乏くじ世代」(香山リカ)や「ロストジェネレーション」(『朝日新聞』が2006年8月及び2007年1月5日付28-29頁の特集で使用)などと呼ばれている。この氷河期世代には安定した職に就けず派遣労働やフリーターといった社会保険のない不安定労働者(プレカリアート)である者が非常に多い。『反貧困』の著者である湯浅誠によると、負傷で解雇された氷河期世代の派遣労働者は、「夢は自爆テロ」といい放ったという。なお、ここでは、大卒時に就職氷河期であった1970年-1982年に生まれた人々を氷河期世代として取り上げている。また、2010年以降に再び就職氷河期が襲い、その時期に大卒で就職活動を行った世代である1987年以降に生まれた世代も氷河期世代と呼ばれている。ただし、前回の氷河期世代と区別するために新氷河期世代と呼ばれている。

氷河期世代の時代背景と区分[編集]

高度経済成長期の終盤から安定成長期にかけて生まれた世代で団塊ジュニアポスト団塊ジュニアの世代と重なる。

この世代は育った時代背景によって3つの層(氷河期世代初期、氷河期世代中期、氷河期世代末期)があるといわれる。初期は1970年代前半生まれ、中期は1970年代後半生まれ、末期は1980年代前半生まれである。例えば、1970年代生まれである初期と中期は、冷戦の世界や好景気の時代を知っているのに対して、1980年代前半生まれである末期は、思春期には冷戦好景気も終わっていた世代である。特に、1970年代後半生まれである中期は、高度経済成長以後に生まれた人々の中では最も激動の時代に思春期を送った世代と言える。

それぞれの時代背景と就労の特徴
  • 氷河期世代初期:大学・高専・短大・専門学校の卒業者が急転直下の就職難に遭遇した一方で、高卒者はバブル景気の恩恵を受けたまま就職し、後の世代とは異なり大手企業に新卒で入社できた者も多い(この世代の女子は大手金融機関に高卒で入社できた最後の世代でもある)。
  • 氷河期世代中期:小学校時代はバブル景気の最中であったが、10歳~14歳で冷戦終結や東欧革命に遭遇し、15歳~24歳の時期にグローバリズムが世界を席巻した為、いずれの学校を出ても就職難に遭遇した。
  • 氷河期世代末期:グローバリズムの時代に10代を過ごし、好景気の時代を知らないまま「就職難は織り込み済み」の時代に育った。高卒者を中心に大多数は就職難に遭遇したが、大学・大学院を卒業した者の中には就職状況の束の間の好転を受けた者もいる。

成長過程[編集]

団塊ジュニア#成長過程参照

ポスト団塊ジュニア#成長過程参照

特徴[編集]

無事に就職できた者でも将来を不安視している人が多く、このためバブル世代が20歳代だった頃とは逆に可処分所得の多くを預貯金に回している。特に、1980年代前半生まれは、若者の車離れアルコール離れなど消費に消極的(嫌消費)であることが問題となっており、嫌消費世代とも呼ばれている。これは給与所得の減少傾向や年金・保険料の値上げに伴い可処分所得が減少していることも関係し、それに見合った生活をしようとしているからである。

就職活動が長期化するうちに引きこもり状態になってしまい、生活を親の年金に依存するパラサイト・シングルもいる。また、氷河期世代の職が不安定であったことによって、結婚や出産をしていない人が多い。そのため、氷河期世代の子どもは、世代人口が少ない世代であり、さらに20代の出産の減少により分散されている。

氷河期世代の前後の世代[編集]

氷河期世代の前の世代である新卒で就職した頃が好景気であったバブル世代1960年代後半生まれ)も、団塊ジュニアの高卒者と同様に、1997年のアジア通貨危機や1999年の産業再生法施行後には人員削減により不安定雇用に追い込まれた者も少なくない。

氷河期世代の後の世代は、2006年から2008年にかけての好景気などによる一時的な就職氷河期から脱却した時期に就職ができ、氷河期世代と比べると楽に就職できたが、さらに後の世代(大卒は1987年度生まれ以降、高卒は1991年度生まれ以降)は再び就職氷河期が訪れ、氷河期世代と同様に就職難に遭遇している。

新氷河期世代[編集]

ゆとり世代参照

2010年卒以降に襲った就職氷河期時期に就職活動を行う世代を新(就職)氷河期世代と呼ぶところがある。

2010年卒以降の就職氷河期は、求人倍率や就職率は前回の氷河期よりもまだ高めであるが、内定率は前回の氷河期以下となることが多く、前回の氷河期を超える氷河期ということで超氷河期と呼ばれ、その対策として、卒業後3年以内を新卒扱いにしたりなどが検討されている。

脚注[編集]

  1. 1.0 1.1 e-Stat 一般職業紹介状況
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  3. 引用エラー: 無効な <ref> タグです。 「kihon2」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません
  4. 社会実情データ図録 就職内定率の推移(大卒)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

先代:
新人類
1961年-1970年
バブル世代
1965年-1969年
日本の世代
氷河期世代
(団塊ジュニア)
(ポスト団塊ジュニア)
(新人類)
1970年-1986年
次代:
ゆとり世代
1987年-