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==== 湾 ====
 
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* [[伊勢湾]] - 三重県の北部から中部に面した[[湾]]。[[四日市港]]など大規模港が存在する。
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* [[英虞湾]] - 志摩市にある湾。[[真珠]]の養殖が盛んである。
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* [[的矢湾]] - 志摩市と鳥羽市に囲まれた湾。[[的矢かき]]で知られる。
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* [[五ヶ所湾]] - [[度会郡]][[南伊勢町]]にある湾。真珠養殖が盛んである。
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* [[尾鷲湾]] - 尾鷲市に面した湾。有数の漁港がある。
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* [[熊野灘]] - 三重県の志摩市[[大王崎]]から和歌山県[[潮岬]]にかけての海域の名称。
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* [[賀田湾]] - 尾鷲市[[賀田]]に面した湾。
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この他にも、[[志摩半島]]南部から[[熊野市]]にかけての海岸は、[[リアス式海岸]]になっているので、多数の[[湾]]がある。
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==== 半島 ====
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* [[紀伊半島]]
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* [[志摩半島]]
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=== 気候 ===
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三重県は南北に長いため、各地域によって[[気候]]がさまざまである。東紀州(南部)は、[[潮岬]]からの[[台風]]の直撃を受ける事が多く、「台風銀座」と呼ばれている。伊勢湾沿岸から熊野灘沿岸が[[太平洋側気候]]で、伊賀は[[内陸性気候]]([[瀬戸内海式気候]]に含める場合もある。)である。
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* '''鈴鹿山麓([[北勢|北部]])''' - [[鈴鹿山脈]]の麓に位置するこの地域([[四日市市]]、[[桑名市]]など)は、[[冬]]は乾燥した晴天の日が多く、強い冬型の気圧配置になると[[日本海]]から流れてくる雪雲の影響で局地的な大雪に見舞われることがある。山間部を除けば、県内で最も雪の多い地域で、[[いなべ市]]では、1mの降雪記録もある。
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* '''上野盆地([[伊賀]])'''  - 山地を除くと1月の平均気温が約3℃で、県内では最も寒さの厳しい地域。逆に夏の暑さは場所によっては40℃を超えたという記録がある。鈴鹿山麓地域(北部)と同様、強い冬型の気圧配置になると大雪に見舞われることがある。年降水量は1300〜1500mmで県内で最も雨の少ない地域である。年間を通じて霧が多く発生する。
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* '''伊勢平野([[中勢|中部]]、[[伊勢志摩]])''' - 基本的に温和な気候であるが、中南部はしばしば洪水にみまわれる。(宮川豪雨や津市で記録した時間雨量98mmなど)又、津市では夏になると最低気温が25℃を下回らない熱帯夜の日が多くなる。
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* '''熊野灘沿岸([[東紀州|紀勢東紀州]])''' - 三重県で最南に位置するため、非常に温暖な地域になっている。又、県内はもとより、全国的にも雨の多い地域として有名で、上記でも説明したとおり、台風がよく通過する。[[南四国]](高知平野を除く)や[[九州]]南東部と似ており、[[志摩半島]]海岸では年平均気温は約16℃、年降水量は2000〜2500mmとなっている。特に、[[尾鷲市|尾鷲]]から[[大台ヶ原山]]までの一帯は多雨地帯であり、尾鷲市の年降水量の平均は4000mm程度に達する。
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==== 気象区分 ====
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*北中部
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** 北部 - [[四日市市]]・[[桑名市]]・[[鈴鹿市]]・[[亀山市]]・[[いなべ市]]・[[川越町]]・[[朝日町 (三重県)|朝日町]]・[[菰野町]]・[[木曽岬町]]・[[東員町]]
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** 伊賀 - [[伊賀市]]・[[名張市]]
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** 中部 - [[津市]]・[[松阪市]]・[[多気町]]・[[明和町 (三重県)|明和町]]
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*南部
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** 伊勢志摩 - [[伊勢市]]・[[鳥羽市]]・[[志摩市]]・[[玉城町]]・[[度会町]]・[[南伊勢町]]
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** 紀勢東紀州 - [[尾鷲市]]・[[熊野市]]・[[大台町]]・[[大紀町]]・[[紀北町]]・[[御浜町]]・[[紀宝町]]
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== 歴史 ==
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[[明治維新]]以前の[[伊勢国]]、[[伊賀国]]、[[志摩国]]の全域、それに[[紀伊国]][[牟婁郡]]([[熊野国造|熊野国]])の一部よりなる。
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=== 原始 ===
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大陸と陸続きであった頃、鳥羽市の[[恐竜]]化石、阿山郡大山田村で発見された[[ゾウ]]・[[ワニ]]の足跡などが知られている。3万年前から1万年前頃の[[後期旧石器時代]]の三重県内の南勢地方、鈴鹿川北岸、鈴鹿市南部、英虞湾や伊雑浦(いぞううら)などの河岸段丘や台地での遺跡から[[ナイフ形石器]]が出土している。遺跡は50カ所ほど知られているが、遺跡の内容は分かっていない。その中では出張(でばり)遺跡(度会郡大紀町)で発掘調査が行われ、ナイフ形石器・[[削器]]・[[尖頭器]]状石器・[[細石刃]]などが出土している。石材の多くは県内のチャートであるが、[[讃岐岩]](サヌカイト)は[[二上山 (奈良県・大阪府)|二上山]]産のものである。
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[[縄文時代]]草創期の[[縄文式土器|土器]]押型文土器が県内各100カ所近くの遺跡から出土している。また、早期以降の遺跡は、伊勢湾岸、志摩半島、熊野灘沿岸、伊賀盆地の内陸部にまで広がり、600を超える。
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押型文土器に伴う石器群は、有茎尖頭器・[[石鏃]]などがあり、この二つの石器には時期的差がみられる。この期の住居は[[竪穴式住居]]で、直径4メートルほどの平面形は不整円形で、地表面から80センチほど掘り下げ、[[垂木]](たるき)を立てかけて円錐状の屋根を葺いたものと推定される。他には長楕円形または隅丸の二等辺三角形の平面形で、最大長2.6メートル、最大幅65センチの「煙道付炉穴」と呼ばれる野外炉が併存している。このことは半定住生活していたことを裏付ける。
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中期から後期前葉にかけて遺跡数が最も増加し、およそ200カ所の所在が確認されている。中期前半には関東系や瀬戸内系の土器に北陸系や東海系の土器も認められ、海岸沿いに人々の行き来が行われたことを示している。この期の住居は平面形が円形で、住居内には石囲みや土器敷の屋内炉も確認されている。後期には、近畿系の強い影響にありながら、東北・中部・北陸などの土器が見られ、広範に交流が行われていたことが推定できる。津市一志町にある天白遺跡に東西も南北も約50メートルの範囲に広がった、西日本には数少ない[[配石遺構]]がある。土器棺墓、60点を超える[[土偶]]・岩偶、[[石棒]]・石剣など祭祀遺物も多く確認され、[[葬送儀礼]]の行われた遺構であると考えられている。晩期に入っては、小規模遺跡が多く、[[沖積平野]]部に進出している。後半の土器には粘土紐を肩部や口辺部に貼り付ける東海系の突帯文土器が主流を占めるようになる。住居では、名張市にある下川遺跡から柄鏡形住居が確認されている。遺体を土器に埋葬する25基の土器棺墓郡が集落と離れた場所で見つかっている。
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=== 古代 ===
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[[672年]]、古代最大の内乱である[[壬申の乱]]が起こった。この内乱は律令国家形成の主導権をめぐる争いであり、三重県域に属する伊勢と伊賀は巻き込まれ、重要な役割を果たした。
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7世紀の終わり頃に[[班田収授法]]が実施されたが、三重県下でも条里制の遺構が[[圃場整備事業]]が実施されるまで、志摩の英虞郡を除いて各郡で確認されている。なかでも伊賀では[[服部川]]右岸の[[扇状地]]、伊勢では[[安濃川]]と[[櫛田川]]の下流域に、それぞれ広範囲にわたって連続した地割りが認められた。
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国分僧寺・尼寺は全国に建立された。伊賀では上野市(現伊賀市)西明寺字長者屋敷に寺跡があり、東西210メートル、南北約250メートルの方形に土塁が残っている。南から中門・金堂・講堂跡の土壇が並び、西南の隅に塔跡とみられる土壇もある。尼寺はその東200メートルにある長楽山廃寺が想定されている。伊勢の僧寺は鈴鹿市国分町の台地の南端にあったとみられる。寺域は築地で囲まれ、東西178メートル、南北184メートルであった。志摩では阿児町国府の台地上にある護国山国分寺が僧寺であるとみられている。
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=== 近世 ===
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江戸時代に置かれた藩には伊勢国には、[[桑名藩]]、[[長島藩]]、[[伊勢亀山藩]]、[[神戸藩]]、[[菰野藩]]、[[久居藩]]、[[津藩]]、志摩国の[[鳥羽藩]]、津藩の支城の[[上野城|伊賀上野城]]、津藩の一族の[[名張陣屋]]、[[紀州藩]]の支城の[[田丸城]]、[[松坂城|松阪城]]がある。
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=== 近・現代 ===
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* [[1876年]][[4月18日]] - 三重県発足。
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* 1876年 - [[1873年]][[7月]]より行われた[[地租改正]]に、[[農民]]が反対する[[地租改正反対一揆]]が発生する。
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* [[1944年]][[12月7日]] - [[尾鷲市]]沖約20kmを[[震源]]とする[[東南海地震]]が発生し、尾鷲市や熊野灘沿岸一帯が[[津波]]で壊滅的な被害を受ける。死者・行方不明者は全部で推定1223人。
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* [[1945年]][[6月18日]] - [[アメリカ軍]]が[[四日市市]]へ空襲('''[[四日市空襲]]''')。死者736人。市街地のほとんどが廃墟になる。
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* [[1945年]][[7月24日]]、[[7月28日]] - アメリカ軍が[[津市]]へ空襲('''[[津大空襲]]''')死者1,239人。旧市街や工場地帯が焼失し、焼失率は全国一といわれる。
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* [[1955年]] - [[三重県立四日市高等学校]]が[[第37回全国高等学校野球選手権大会]]で初出場し、初優勝する。
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* [[1959年]][[4月29日]]  - [[御在所ロープウェイ]]開業。
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* [[1960年]] - 四日市市にある石油化学コンビナートから排出された亜硫酸ガスによる大気汚染で、[[公害病#四大公害病|四大公害病]]の一つ、[[四日市ぜんそく]]の被害が広がる。
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* [[1962年]] - [[鈴鹿サーキット]]が開園。
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* [[1965年]][[12月16日]] - [[名阪国道]]が[[暫定2車線]]で開通したため、三重県初の[[自動車専用道路]]開通。
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* [[1966年]][[3月]] - [[ナガシマスパーランド]]開園。
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* [[1970年]][[4月17日]] - [[四日市インターチェンジ (三重県) |四日市IC]]-[[亀山インターチェンジ|亀山IC]]間が[[日本道路公団]](現 [[中日本高速道路]])が管理する一般[[有料道路]]の[[国道1号]]東名阪道路として開通。
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* [[1973年]][[4月1日]] - 東名阪道路が[[高速自動車国道]]の[[東名阪自動車道]]となったため、三重県初の高速自動車国道となる。
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* [[1994年]][[4月22日]] - [[志摩スペイン村]]開園。
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* [[1995年]][[12月25日]]~[[12月27日]]  - 鈴鹿山麓([[北勢|北部]])地域を中心に[[大雪]]が降り、四日市市では、最深積雪53[[センチメートル|cm]]を記録した。
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* [[1998年]][[7月12日]] - [[なばなの里]]開園。
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* [[2000年]][[6月]] - [[滋賀県]]、[[福井県]]、[[岐阜県]]とともに[[日本まんなか共和国]]を設立。
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* 2000年[[11月1日]] -  四日市市が[[特例市]]へ移行。
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* [[2003年]][[12月1日]] - [[いなべ市]]が発足したため、三重県内で初の[[平成の大合併]]になった。
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* 2004年[[7月7日]] - ユネスコ世界遺産に「紀伊山地の霊場と参詣道」が登録。
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* 2004年[[9月29日]] - [[平成16年台風第21号|台風21号]]による豪雨で、[[宮川村]](今の[[大台町]])で土石流災害が発生する。死者6人、行方不明者1人。('''宮川豪雨''')
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* [[2007年]][[4月15日]] - [[三重県中部地震]]が発生し、亀山市や鈴鹿市などで被害が出る。重軽傷者は全部で12人。
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*[[2009年]][[10月8日]] - [[平成21年台風第18号|台風18号]]による豪雨で[[東海旅客鉄道]](JR東海)[[名松線]]の[[家城駅]] - [[伊勢奥津駅]]間の約40箇所で土砂崩れや路盤流出が発生し、[[バス代行|バスで代行運転]]となる。
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*2009年[[11月13日]] - [[マルエーフェリー]]の「ありあけ」が[[御浜町]]にある[[七里御浜]]の200メートル沖合の[[熊野灘]]で座礁する。乗客は全員救助された。 
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* [[2010年]][[6月28日]] - [[伊勢自動車道]]の[[津インターチェンジ|津IC]]~[[伊勢インターチェンジ|伊勢IC]]と[[紀勢自動車道]]の全線で[[高速道路無料化|高速道路の無料化社会実験]]が始まる。
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* 2010年[[8月27日]] - [[野呂昭彦]][[知事]]の長男が覚せい剤取締法違反の疑いで逮捕される。長男は2008年にも覚せい剤の使用などで有罪判決を受けて執行猶予中であった。
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* 2010年[[10月1日]] - [[伊勢湾フェリー]]が三重県と[[愛知県]]、[[鳥羽市]]と[[田原市]]の2県2市から支援を受け、廃止を免れ、新体制での事業を開始。
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==== 度会府設置から三重県発足まで ====

2011年4月30日 (土) 10:13時点における版

三重県(みえけん)は、日本都道府県の一つで、日本最大の半島である紀伊半島の東側に位置する。

県庁所在地は県中部にある津市

概要

の豊富な自然に恵まれ、農業漁業が盛んである。また観光で江戸時代(御伊勢参り)から現在(F1日本グランプリや、8耐など)に至るまで、観光を産業として成り立たせており、京都奈良と並び稀有な県である。

北勢伊賀中勢南勢伊勢志摩東紀州の5地域で構成されている。江戸時代から、お伊勢参り(お蔭参り)の名で知られる伊勢神宮を擁する地域として発展した。令制国では、伊勢国志摩国伊賀国の全域と、紀伊国(当初は熊野国)の一部より構成される。旧律令国を4国も包括している県は珍しく、5国を包括している兵庫県についで2位である。このことは兵庫県同様三重県も、地域間の文化の違いや、習慣が多様であることを物語っている。

人口は22番目で、面積は25番目、人口密度は23番目である。三重県内で最大人口を持つ市町村四日市市の約31万人で、国から特例市に指定されている。県庁所在地である津市は、平成の大合併前の時点で、約16万人で県庁所在地のなかで人口が一番少なかったが、合併により人口が急激に増え、現在の人口は約28万人である。三重県は東紀州を中心に過疎地域があり、津市や松阪市の一部も過疎地域に指定されている。三重県の総人口は約180万人であり、熊本県鹿児島県岡山県等と同規模である。しかしそれらの県と比較して、三重県には人口の規模が大きな都市が存在しない。今日でこそ、平成の大合併で、人口が10万を超える市も全国的に珍しくなくなったが、以前から三重県には人口10万人以上の規模の市が、伊勢湾沿いに6市も存在している。大都市圏を含む都道府県以外では珍しいことである。このことから三重県の都市人口の特徴として、中規模の都市が複数存在し、人口が比較的分散していることがうかがえる。

三重県の北中部は中京工業地帯であり、主要企業が多い。四日市市では自動販売機が年間で約12万台生産されており、自動販売機の生産量が全国で最も多い。また全国的に有名な石油化学コンビナート四大公害病の一つである四日市ぜんそくが問題になったが、現在は法整備や汚染防止技術向上などの対策が格段に進み、工業地帯周辺の大気状態は良好になっている。亀山市にはカメヤマローソク(本社は大阪市に移転)や、三重県のハイテク企業誘致策により建設されたシャープ亀山工場がある。なお、三重県はローソクの生産量との生産量が全国一である。

伊勢神宮伊賀上野二見浦世界遺産熊野古道などの観光地やナガシマスパーランドなばなの里志摩スペイン村鈴鹿サーキットなどのテーマパークがある。三重県は、関西圏中京圏の中間に位置しているため、両地域からの観光客が多い。

桑名郡木曽岬町は、愛知県と地続きになっていることから、郵便配達などは愛知県弥富市にある弥富支店が行っている。また、町内の郵便番号は三重県のものではなく、愛知県のものが使われ、市外局番も愛知県のものを使用する。

方言三重弁が話されており、その中でも伊勢弁伊賀弁志摩弁紀州弁に分けることができる。三重弁は近畿方言に属しており、大部分の地域が京阪式アクセントまたはその変種である。三重県は、特に北部において、愛知県および東海地方との文化面や経済面での共通性が見られるが、方言においては愛知県・岐阜県との間に大きな断絶がある。方言の境界は長良川にあり、その東側の旧桑名郡長島町と桑名郡木曽岬町は東京式アクセントで、愛知県と同じ方言圏に属している。

三重県は、滋賀県福井県岐阜県とともに「日本まんなか共和国」を設立し、知事サミットや文化交流事業などを行っている。

名古屋名物になっている天むすは元々は三重県発祥のものである。他に、ひつまぶしも三重発祥との説がある。

地理

三重県は南北の長さは約180km、東西の幅は108kmと、非常に細長い形をしているため、地形も、伊勢平野をはじめとする平野部から、山脈、青山高原などの高地、盆地、低地など様々な地形を有する。伊勢湾から松阪市飯高町にかけて中央構造線が通っており、飯高町月出では大規模な露頭が見つかっている。2002年に「月出の中央構造線」として国の天然記念物に指定された。2007年には、長野県大鹿村とともに日本の地質百選に選定された(「中央構造線(月出)」)。

行政区分

隣接都道府県とその市町村

括弧内はその市町村に隣接する三重県の市町村。

三重県の分類

一般的には、近畿地方または東海地方に含まれる。国土整備行政上は、福井県滋賀県と同様、近畿圏中部圏のいずれにも含まれている。

合併済みの市町村

詳しくは三重県の廃止市町村一覧を参照

市町村合併
新行政名 旧行政名 合併期日
いなべ市 員弁町北勢町大安町藤原町 2003年12月1日
志摩市 阿児町浜島町磯部町大王町志摩町 2004年10月1日
伊賀市 上野市阿山町伊賀町青山町大山田村島ヶ原村 2004年11月1日
桑名市 桑名市、多度町長島町 2004年12月6日
松阪市 松阪市、嬉野町三雲町飯南町飯高町 2005年1月1日
亀山市 亀山市、関町 2005年1月11日
四日市市 四日市市、楠町 2005年2月7日
大紀町 大宮町紀勢町大内山村 2005年2月14日
南伊勢町 南勢町南島町 2005年10月1日
紀北町 海山町紀伊長島町 2005年10月11日
伊勢市 伊勢市、小俣町二見町御薗村 2005年11月1日
熊野市 熊野市、紀和町 2005年11月1日
津市 津市、久居市芸濃町安濃町河芸町香良洲町一志町白山町美里村美杉村 2006年1月1日
多気町 多気町、勢和村 2006年1月1日
大台町 大台町、宮川村 2006年1月10日
紀宝町 紀宝町、鵜殿村 2006年1月10日

地形

主な川

主な山

鈴鹿山脈

養老山地

布引山地

台高山脈

その他:

主な島

鳥羽市

志摩市

紀北町

紀宝町

この他にも、志摩半島南部から熊野市にかけての海岸は、リアス式海岸になっているので、多数のがある。

半島

気候

三重県は南北に長いため、各地域によって気候がさまざまである。東紀州(南部)は、潮岬からの台風の直撃を受ける事が多く、「台風銀座」と呼ばれている。伊勢湾沿岸から熊野灘沿岸が太平洋側気候で、伊賀は内陸性気候瀬戸内海式気候に含める場合もある。)である。

  • 鈴鹿山麓(北部 - 鈴鹿山脈の麓に位置するこの地域(四日市市桑名市など)は、は乾燥した晴天の日が多く、強い冬型の気圧配置になると日本海から流れてくる雪雲の影響で局地的な大雪に見舞われることがある。山間部を除けば、県内で最も雪の多い地域で、いなべ市では、1mの降雪記録もある。
  • 上野盆地(伊賀 - 山地を除くと1月の平均気温が約3℃で、県内では最も寒さの厳しい地域。逆に夏の暑さは場所によっては40℃を超えたという記録がある。鈴鹿山麓地域(北部)と同様、強い冬型の気圧配置になると大雪に見舞われることがある。年降水量は1300〜1500mmで県内で最も雨の少ない地域である。年間を通じて霧が多く発生する。
  • 伊勢平野(中部伊勢志摩 - 基本的に温和な気候であるが、中南部はしばしば洪水にみまわれる。(宮川豪雨や津市で記録した時間雨量98mmなど)又、津市では夏になると最低気温が25℃を下回らない熱帯夜の日が多くなる。
  • 熊野灘沿岸(紀勢東紀州 - 三重県で最南に位置するため、非常に温暖な地域になっている。又、県内はもとより、全国的にも雨の多い地域として有名で、上記でも説明したとおり、台風がよく通過する。南四国(高知平野を除く)や九州南東部と似ており、志摩半島海岸では年平均気温は約16℃、年降水量は2000〜2500mmとなっている。特に、尾鷲から大台ヶ原山までの一帯は多雨地帯であり、尾鷲市の年降水量の平均は4000mm程度に達する。

気象区分

歴史

明治維新以前の伊勢国伊賀国志摩国の全域、それに紀伊国牟婁郡熊野国)の一部よりなる。

原始

大陸と陸続きであった頃、鳥羽市の恐竜化石、阿山郡大山田村で発見されたゾウワニの足跡などが知られている。3万年前から1万年前頃の後期旧石器時代の三重県内の南勢地方、鈴鹿川北岸、鈴鹿市南部、英虞湾や伊雑浦(いぞううら)などの河岸段丘や台地での遺跡からナイフ形石器が出土している。遺跡は50カ所ほど知られているが、遺跡の内容は分かっていない。その中では出張(でばり)遺跡(度会郡大紀町)で発掘調査が行われ、ナイフ形石器・削器尖頭器状石器・細石刃などが出土している。石材の多くは県内のチャートであるが、讃岐岩(サヌカイト)は二上山産のものである。

縄文時代草創期の土器押型文土器が県内各100カ所近くの遺跡から出土している。また、早期以降の遺跡は、伊勢湾岸、志摩半島、熊野灘沿岸、伊賀盆地の内陸部にまで広がり、600を超える。 押型文土器に伴う石器群は、有茎尖頭器・石鏃などがあり、この二つの石器には時期的差がみられる。この期の住居は竪穴式住居で、直径4メートルほどの平面形は不整円形で、地表面から80センチほど掘り下げ、垂木(たるき)を立てかけて円錐状の屋根を葺いたものと推定される。他には長楕円形または隅丸の二等辺三角形の平面形で、最大長2.6メートル、最大幅65センチの「煙道付炉穴」と呼ばれる野外炉が併存している。このことは半定住生活していたことを裏付ける。

中期から後期前葉にかけて遺跡数が最も増加し、およそ200カ所の所在が確認されている。中期前半には関東系や瀬戸内系の土器に北陸系や東海系の土器も認められ、海岸沿いに人々の行き来が行われたことを示している。この期の住居は平面形が円形で、住居内には石囲みや土器敷の屋内炉も確認されている。後期には、近畿系の強い影響にありながら、東北・中部・北陸などの土器が見られ、広範に交流が行われていたことが推定できる。津市一志町にある天白遺跡に東西も南北も約50メートルの範囲に広がった、西日本には数少ない配石遺構がある。土器棺墓、60点を超える土偶・岩偶、石棒・石剣など祭祀遺物も多く確認され、葬送儀礼の行われた遺構であると考えられている。晩期に入っては、小規模遺跡が多く、沖積平野部に進出している。後半の土器には粘土紐を肩部や口辺部に貼り付ける東海系の突帯文土器が主流を占めるようになる。住居では、名張市にある下川遺跡から柄鏡形住居が確認されている。遺体を土器に埋葬する25基の土器棺墓郡が集落と離れた場所で見つかっている。

古代

672年、古代最大の内乱である壬申の乱が起こった。この内乱は律令国家形成の主導権をめぐる争いであり、三重県域に属する伊勢と伊賀は巻き込まれ、重要な役割を果たした。

7世紀の終わり頃に班田収授法が実施されたが、三重県下でも条里制の遺構が圃場整備事業が実施されるまで、志摩の英虞郡を除いて各郡で確認されている。なかでも伊賀では服部川右岸の扇状地、伊勢では安濃川櫛田川の下流域に、それぞれ広範囲にわたって連続した地割りが認められた。

国分僧寺・尼寺は全国に建立された。伊賀では上野市(現伊賀市)西明寺字長者屋敷に寺跡があり、東西210メートル、南北約250メートルの方形に土塁が残っている。南から中門・金堂・講堂跡の土壇が並び、西南の隅に塔跡とみられる土壇もある。尼寺はその東200メートルにある長楽山廃寺が想定されている。伊勢の僧寺は鈴鹿市国分町の台地の南端にあったとみられる。寺域は築地で囲まれ、東西178メートル、南北184メートルであった。志摩では阿児町国府の台地上にある護国山国分寺が僧寺であるとみられている。

近世

江戸時代に置かれた藩には伊勢国には、桑名藩長島藩伊勢亀山藩神戸藩菰野藩久居藩津藩、志摩国の鳥羽藩、津藩の支城の伊賀上野城、津藩の一族の名張陣屋紀州藩の支城の田丸城松阪城がある。

近・現代

度会府設置から三重県発足まで