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領域は26のカウンティとダブリン・リージョンで構成されている。また、欧州連合の加盟国である。
 
領域は26のカウンティとダブリン・リージョンで構成されている。また、欧州連合の加盟国である。
  
主な産業はかつては農牧業であったが、近年は各種工業が発達している。
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また、6カウンティ(北アイルランド)は「特殊な地位」にある。
特に、安価な法人税を目的にエレクトロニクス関連企業の進出が進んでいる。
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== 歴史 ==
 
== 歴史 ==
  
アイルランド島に始めて人類が定住したのは紀元前7500年頃の旧石器時代とされている。
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''詳細は[[アイルランドの歴史]]を参照''
600年頃に聖パトリックらの活躍によりキリスト教が伝来した。イングランドによるアイルランドの植民地化は、
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1169年のノルマン人侵攻によって開始された。とは言え、この時は名目的なアイルランド王の地位とダブリンの
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=== 古代 ===
領有のみに抑えられ、その他の地方では伝統的なケルト社会が残存した。しかし、17世紀初頭のクロムウェルによる
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*紀元前265年頃、ヨーロッパ大陸より[[ケルト人]]の渡来が始まる。
アイルランド侵略により、カトリックの土地は没収され、プロテスタントを信仰する「アングロ・アイリッシュ」により
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*5世紀ごろ、[[パトリキウス|聖パトリック]]らによる[[キリスト教]]の布教。
アイルランドは植民地同然と化した。1800年の英国との合併により、英国の一部となったが、立場は変わらなかった。
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とは言え、オコンネルらの努力もあり、1829年にカトリック教徒解放法が成立し、カトリックの権利は拡大した。
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=== ノルマン人の侵入 ===
所が、19世紀のジャガイモの不作により発したジャガイモ飢饉により、英国政府の無策もあり、アイルランド人の人口は
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*8世紀末頃、[[ノルマン人]](ヴァイキング)の侵入が始まる。
激減し、アメリカへの移民を余儀なくされた。この事件以降、アイルランドの独立機運は高まった。1916年のIRB主導の
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*1014年、アイルランド上王 (High King) [[ブライアン・ボル]]がクロンターフでヴァイキングを破り([[クロンターフの戦い]])、これ以降ヴァイキングの侵入が収束する。
イースター蜂起がこれを象徴する。この蜂起は失敗こそしたものの、英国政府の過激な弾圧に反発したアイルランド人は
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*1169年、ノルマン人の侵攻が始まる。
さらに独立を求めるようになった。地獄のような独立戦争を経て、1922年にはアイルランド自由国として実質上の独立を
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*1171年、諸豪族がイングランド王[[ヘンリー2世 (イングランド王)|ヘンリー2世]]の支配下におかれる。
えた。しかし、北部6県(北アイルランド)は英国の残留を望み、北アイルランドは英国領土のままとなった。
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1932年の総選挙で政権を獲得したイーモン・デ・ヴァレラは英国からの名目上の独立も志向した。1937年に制定された、
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=== 宗教改革とプロテスタント支配の強化(英国による植民地支配) ===
民族主義色とカトリック色の濃い新憲法がそれを表現している。ヴァレラ政権の元では自給自足の農村的国家を志向したために、
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{{See also|アイルランド王国|宗教改革|三十年戦争|大同盟戦争}}
経済は衰退しヨーロッパ最貧国にまで落ちぶれたが、1959年にショーン・F・リーマスが首相に就任するとそれまでの経済政策を変え、
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*1541年、イングランド王[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]がアイルランド王を自称。これ以降、イングランドからの入植者が増える。しかしアイルランドの貴族はこれを認めずヘンリー8世と対立。
外資を導入し、近代工業国家の建設を目指した。1973年にEC(ヨーロッパ共同体)に加盟すると、ECより巨額の資金援助を得ることができた。
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*1652年、[[護国卿]][[オリバー・クロムウェル]]による[[クロムウェルのアイルランド侵略|アイルランド侵略]]、事実上の[[植民地]]化。これ以後正式な移民が始まる)
アイルランドはこの資金をインフラストラクチャの整備や教育制度の整備、生産設備の近代化に用いられた。1970年代になると、減少続きだった
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アイルランドの人口はようやく増加した。北アイルランドは多数派のプロテスタント系住民と少数派のカトリック系住民の対立は深刻化し、
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*1798年、[[ユナイテッド・アイリッシュメンの反乱(1798年)]]。
両住民の準軍事組織であるUFF(アルスター自由闘志団)とIRA(アイルランド共和軍)が軍事衝突を繰り返し、北アイルランドは血みどろの内戦が
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*1800年、[[連合法 (1800年)|連合法]]が[[イギリスの議会|グレートブリテン議会]]および[[アイルランド議会 (1297-1800)|アイルランド議会]]の双方で可決。
続いた。しかし、1998年の[[聖金曜日合意]]により北アイルランドの治安は回復し、南北の移動も自由化された。こうして北アイルランドは徐々に
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*1801年、[[グレートブリテン王国]]と[[アイルランド王国]]が合同(実質的には英国によるアイルランド併合)。
平和を取り戻した。一方、アイルランドは「ケルトの虎」と呼ばれる高度成長を遂げたが、金融危機により終焉した。金融危機後初の選挙で与党であった
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共和党(フィアナ・フォール)は敗北し、統一アイルランド党(フィナ・ゲール)が大勝した。そして、同党の党首であるエンダ・ケニーが首相に就任した。
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=== 英国統治時代 ===
新政権の緊縮策とEUからの援助により、アイルランドの信用は取り戻され、経済も回復していった。
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*1829年、[[カトリック教徒解放令]]が施行。
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*1840年代後半、[[ジャガイモ]]の不作が数年続き大飢饉となる([[アイルランド大飢饉]])。この結果多くのアイルランド人が[[アメリカ合衆国|米国]]へ移住。
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*1905年、[[シン・フェイン]]党が結党、アイルランド独立を掲げる。
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*1914年、英アスキス内閣により、[[アイルランド自治法]]が成立するが、[[第一次世界大戦]]勃発を理由に自治は保留。
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*1916年、アイルランド民族主義者がダブリンで蜂起するが鎮圧される([[イースター蜂起]])。
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*1918年、英国総選挙にて、アイルランドの選挙区において、シン・フェインが議席の大半を獲得
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=== アイルランド独立戦争とアイルランド内戦 ===
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*[[アイルランド独立戦争]](1919年 - 1921年)が終わり、1921年12月6日[[英愛条約]]が締結され、1922年12月6日[[アイルランド自由国]]が成立、英国の自治領となる。ただし北部[[アルスター]]地方の6州は[[北アイルランド]]として英国に留まる。条約の賛否により、[[アイルランド内戦]]へと発展。
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*1931年、[[ウェストミンスター憲章]]が成立、英国と対等な主権国家となる。
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*1932年、総選挙にて[[フィアナ・フォール]]が第1党。以後、2011年まで同地位を維持。
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*1937年、[[アイルランド憲法]]を施行、国号をアイルランド([[アイルランド語|愛]]:エール)と改める。
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*1938年、英国が独立を承認。[[英連邦]]内の共和国として、実質的元首の大統領と儀礼的君主の国王の双方を戴く。
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*1949年、[[英連邦]]を離脱、完全な共和制に移行する。
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*1998年、[[ベルファスト合意]]。
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*2008年、国民投票にて[[リスボン条約]]の批准を拒否(その後、2009年の再度の国民投票にて可決)。
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*2011年、総選挙にて[[フィン・ゲール]]が結党以来、初の第1党。FG=労働党連立内閣発足。
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== 地理 ==
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== 政治 ==
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アイルランドの政治は1937年に制定された[[アイルランド憲法]]に則って実施される。また、1949年の「アイルランド共和国法」により、
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アイルランドは「共和国」であることが明記されている。
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国家元首は大統領である。その権限は儀礼的であるが、違憲立法審査の請求、首相による議会開催の拒否などの権利を行使でき、
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また、アイルランド国軍の最高司令官を務める。
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アイルランドの議会は二院制であり、上院たる[[シャスナ・エアラン]]と下院の[[ドイル・エアラン]]で構成されている。
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シャスナ・エアランは諮問的、名目的要素が強く、実際に立法権を行使するのはドイル・エアランである。
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ドイル・エアランは普通・平等・秘密の三原則による比例代表制の選挙により、選出された議員により、構成されている。
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ドイル・エアランの議長は特定の政党に所属する事が禁じられ、中立の立場であることを求められる。
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2015年現在、ドイル・エアランは[[フィン・ゲール]]と[[労働党(アイルランド)|労働党]]の与党が過半数を占めている。
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主な野党としては1932年以来70年以上、アイルランドの与党であった[[フィアナ・フォール]]や[[シン・フェイン]]
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などがある。
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=== 地方自治 ===
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=== 司法 ===
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アイルランドの法制度は英米法的慣習法制度である。
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=== 外交関係 ===
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米国と英国との二国間関係も重要であるが、外交関係は、実質的に、欧州連合のメンバーシップによって影響される。また、欧州連合理事会の議長を6回。最近は2013年につとめた。
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アイルランドは1973年から欧州連合(EU)の加盟国である。
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アイルランドは長年、軍事的中立路線をとってきた。このポリシーは、アイルランド国防軍は1960年から国連平和維持ミッションへの貢献で成功するためにコンゴ動乱とその後にキプロス 、 レバノンとボスニア・ヘルツェゴビナへ派遣されたことが示している。
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第二次世界大戦中、アイルランド政府は公然と中立を宣言したにも関わらず、50,000人以上のアイルランド人が英国軍への入隊を通して大戦を経験した。
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=== 軍隊 ===
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アイルランド軍の正式名称は「アイルランド国防軍」(Óglaigh na hÉireann)といい、陸軍、海軍、空軍(航空隊)、国防予備軍の4軍で構成されている。
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国防軍が戦争に賛成するにはUNからの要請、下院と政府の承認が必要であり、このことを「トリプルロック」と言う。
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アイルランド大統領は国防軍の最高司令官であるが、事実上は政府、つまり国防大臣の統制下にある。
  
 
== 経済 ==
 
== 経済 ==
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アイルランドの経済は1980年代以降、知識経済と呼ばれるハイテク産業やサービス主体の経済に移行した。 アイルランドは他の11ヶ国のEU加盟国と共に、2002年にユーロ通貨を採用した。
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アイルランド経済のかなりの部分は安価な法人税(平均12,5%)と高度な教育を受けた労働者そして、「英語国」であることにより、外国資本に依存している。
  
 
アイルランド経済は2007年~2008年の金融恐慌により、主要銀行が倒産するなど、
 
アイルランド経済は2007年~2008年の金融恐慌により、主要銀行が倒産するなど、
 
経済は減速し、政府も破綻寸前の事態に陥ったが、EUの支援と緊縮策などにより、
 
経済は減速し、政府も破綻寸前の事態に陥ったが、EUの支援と緊縮策などにより、
 
2015年現在、アイルランド経済は回復基調にある。
 
2015年現在、アイルランド経済は回復基調にある。

2016年7月10日 (日) 06:16時点における最新版

アイルランド

Ireland ファイル:アイルランド.jpg|center|300px|アイルランド

独立 1922年(アイルランド自由国建国) 1949年(アイルランド共和国成立)
公用語 アイルランド語、英語
首都 ダブリン
大統領 マイケル・D・ヒギンズ
首相 エンダ・ケニー
面積 70,273km²
人口 約461万人
GDP(自国通貨表示) 約1845億ユーロ
GDP(MER) 約2460億ドル
国歌 兵士の歌
国際電話番号 353

概要[編集]

アイルランドは、ブリテン諸島にある共和国である。首都はダブリン。北は英国の一部である北アイルランドと国境を接する。また、南側がケルト海、東側はアイリッシュ海に面する。

領域は26のカウンティとダブリン・リージョンで構成されている。また、欧州連合の加盟国である。

また、6カウンティ(北アイルランド)は「特殊な地位」にある。

歴史[編集]

詳細はアイルランドの歴史を参照

古代[編集]

ノルマン人の侵入[編集]

  • 8世紀末頃、ノルマン人(ヴァイキング)の侵入が始まる。
  • 1014年、アイルランド上王 (High King) ブライアン・ボルがクロンターフでヴァイキングを破り(クロンターフの戦い)、これ以降ヴァイキングの侵入が収束する。
  • 1169年、ノルマン人の侵攻が始まる。
  • 1171年、諸豪族がイングランド王ヘンリー2世の支配下におかれる。

宗教改革とプロテスタント支配の強化(英国による植民地支配)[編集]

アイルランド王国 も参照

英国統治時代[編集]

アイルランド独立戦争とアイルランド内戦[編集]

地理[編集]

政治[編集]

アイルランドの政治は1937年に制定されたアイルランド憲法に則って実施される。また、1949年の「アイルランド共和国法」により、 アイルランドは「共和国」であることが明記されている。

国家元首は大統領である。その権限は儀礼的であるが、違憲立法審査の請求、首相による議会開催の拒否などの権利を行使でき、 また、アイルランド国軍の最高司令官を務める。

アイルランドの議会は二院制であり、上院たるシャスナ・エアランと下院のドイル・エアランで構成されている。

シャスナ・エアランは諮問的、名目的要素が強く、実際に立法権を行使するのはドイル・エアランである。

ドイル・エアランは普通・平等・秘密の三原則による比例代表制の選挙により、選出された議員により、構成されている。 ドイル・エアランの議長は特定の政党に所属する事が禁じられ、中立の立場であることを求められる。

2015年現在、ドイル・エアランはフィン・ゲール労働党の与党が過半数を占めている。 主な野党としては1932年以来70年以上、アイルランドの与党であったフィアナ・フォールシン・フェイン などがある。

地方自治[編集]

司法[編集]

アイルランドの法制度は英米法的慣習法制度である。

外交関係[編集]

米国と英国との二国間関係も重要であるが、外交関係は、実質的に、欧州連合のメンバーシップによって影響される。また、欧州連合理事会の議長を6回。最近は2013年につとめた。

アイルランドは1973年から欧州連合(EU)の加盟国である。 アイルランドは長年、軍事的中立路線をとってきた。このポリシーは、アイルランド国防軍は1960年から国連平和維持ミッションへの貢献で成功するためにコンゴ動乱とその後にキプロス 、 レバノンとボスニア・ヘルツェゴビナへ派遣されたことが示している。

第二次世界大戦中、アイルランド政府は公然と中立を宣言したにも関わらず、50,000人以上のアイルランド人が英国軍への入隊を通して大戦を経験した。


軍隊[編集]

アイルランド軍の正式名称は「アイルランド国防軍」(Óglaigh na hÉireann)といい、陸軍、海軍、空軍(航空隊)、国防予備軍の4軍で構成されている。

国防軍が戦争に賛成するにはUNからの要請、下院と政府の承認が必要であり、このことを「トリプルロック」と言う。

アイルランド大統領は国防軍の最高司令官であるが、事実上は政府、つまり国防大臣の統制下にある。

経済[編集]

アイルランドの経済は1980年代以降、知識経済と呼ばれるハイテク産業やサービス主体の経済に移行した。 アイルランドは他の11ヶ国のEU加盟国と共に、2002年にユーロ通貨を採用した。

アイルランド経済のかなりの部分は安価な法人税(平均12,5%)と高度な教育を受けた労働者そして、「英語国」であることにより、外国資本に依存している。

アイルランド経済は2007年~2008年の金融恐慌により、主要銀行が倒産するなど、 経済は減速し、政府も破綻寸前の事態に陥ったが、EUの支援と緊縮策などにより、 2015年現在、アイルランド経済は回復基調にある。